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大船渡市で2月26日に発生した山林火災は4日がたった3月2日になっても延焼が続いており、
岩手県によりますと、焼失した面積は2日午前6時時点でおよそ1800ヘクタール、避難している人は1222人(2日午前7時時点)に達しています。
また、山梨、神奈川、長野など全国各地でも山林火災が確認されているとのこと。
一瞬にしてすべてを奪う火事は本当に怖いものです。
実は仙台城の二の丸が火事で燃えてしまったということをご存知でしたでしょうか?
それは、ほんの些細な不注意から起きた出来事でした。
明治15年9月7日午前11時過ぎ。突如として仙台城二の丸から黒煙が上がりました。東北鎮台本営に使っていた建物が倒壊すると、火の粉と煙が空高く舞い上がった。火元は台所の萱葺きの建物で当時は軍隊の鉄工場でした。武器庫所属の兵士2人が9月9日の榴岡兵営の軍旗祭で揚げる花火を製造中に火薬に引火させてしまったのが原因でした。
市中の消防組、警察署、工兵隊などが懸命に消火に当たったのですが、付近の池はたちまち干上がり、営倉から解放された囚人18人も消火作業を手伝った。(これはなかなかレアなケース)火薬庫が危険との声が上がり、川内地区の住民は逃げ惑ったそうです。
12時30分頃には鎮火。この火事での焼失建物は17か18棟。旧二の丸の実に9割が灰になりました。二の丸の建物は二代藩主伊達忠宗公が寛永16年に築き、その後文化元年(1804)の落雷で炎上したために再建されたものでした。
本丸、二の丸を失った仙台城は、大手門などごく一部を残すだけとなったのですが、その大手門も、昭和20年7月10日の空襲で焼失し、併せて巽門も姿を消すこととなりました。
2024 年度の全国統一防火標語が秀逸です!
「守りたい 未来があるから 火の用心」
いつの世も一人ひとりの防火に対する心がけを大事にしたいものです。
※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。