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いつの頃からか、「仙台」といえば「牛たん」と一般国民が反射的に答えられるぐらいに刷り込まれた「仙台牛たん」の知名度。もはや、杜の都仙台のグルメ黄金コンビ「翼くん」と「岬くん」といえば、「牛たん」と「ずんだ餅」だと言っても過言ではない。
今や牛たんを目当てに観光に訪れるという方も数多く、観光ガイド雑誌やネットには牛たん屋さんの情報がてんこ盛り。
そんな牛たんと伊達政宗様が絶妙にコラボしている空間があるのをご存知でしょうか?
仙台駅3階の牛たん&寿司通りのところに、政宗様の勇ましい武者姿がご覧になれます。
青葉山の仙台城本丸にある9.2メートルの騎馬像よりは小ぶりで、思わず自分の身長と背比べをしてみたくなるスケールではありますが、どこへ出陣してもさまになる”伊達男”はやっぱり政宗様をおいて他にはおりますまい。
今日は特別に「牛たん」に迷える子羊のために、少しばかり「牛たん」についてガイドをすることにいたしましょう。
昭和20年(1945年)に太平洋戦争が終結。終戦の僅か1ヶ月前に空襲に遭った仙台市も一面焼け野原からの再出発となりました。そんな絶望の最中、1人の男が歴史を作る。仙台牛たんの”生みの親”で「味太助」さんの初代店主 佐野敬四郎さんが当時進駐軍が食べ残していた牛タンとテール(尻尾)を食材として活かすことが出来ないかと考案したのが牛たん焼きとテールスープでした。
その後、牛タンの下ごしらえを店舗ではなく、工場で一括加工を行う”セントラルキッチン”という手法を取り入れて店舗数を増やし、初めて「仙台名物 牛たん焼き」のキャッチフレーズを使って仙台牛たんを世に広めた”育ての親”が「味の牛たん喜助」さんなのです。
東北新幹線の開業が追い風となり、仙台牛たんは大ブレークを遂げていったのです。
牛たんは奥にいくほど脂が乗っていて美味しいとされている。マグロで言う「トロ」と「赤身」の違いと言ったところでしょうか。たん元部分は「芯たん」と呼ばれ、他の部位とは差別化され、今はプレミア価格で提供するのがお店の常識となっている。
そもそも牛たんとはタンパク質の塊であり、火を通したら、堅くなるのは避けて通れない。
では、なぜ食べやすくて美味しい牛タンが存在するのか?そこには食べやすくするための数多くの職人技と最新の技術革新がふんだんに散りばめられているからなのです。
以前、東京行きの東北新幹線に乗っていたら、仙台から出張帰りのサラリーマンのこんな会話を耳にしました。
サラリーマンA:「なんで仙台は牛たんが有名なんですかね?」
サラリーマンB:「う~ん、そりゃあ 伊達政宗が牛たん食べてたからじゃないの。
なんか、むしゃむしゃ喰いそうじゃん。」(笑)
思わぬ発言に思わず吹き出しそうになりましたが、それだけ伊達政宗様と仙台牛たんの知名度が
全国津々浦々まで浸透しているという証明だったりするのかもしれませんね。
伊達政宗様が成し得なかった天下獲りは、今の世にグルメ「仙台牛たん」として天下を獲ったということになるのでしょうか。
※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。