頑張っている人をちゃんと評価してくれる政宗様って素敵! | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

仙台城のボランティアガイドが、仙台城の魅力や伊達政宗のトリビアな話を出し惜しみせず、ボリューム満載で語り尽くしまーす。(^_^)

仙台観光をお考えの方は、旅支度の前に予習としてご一読を頂ければ、仙台城が10倍楽しめるかも。

仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(_ _)m

 

自分がこんなに頑張っているのに、上司に評価してもらえないということは古今東西、昔も今も枚挙に暇がありません。

 

生き馬の目を抜くような、殺伐とした戦国時代であれば、自分の手柄を認めてもらえないからと不満を持ち、出奔する者がいるかと思えば、伊達成実様のように出奔してから舞い戻ってくる方もいたりして、世の中とは難しいものです。

 

さて、今日は我らが伊達政宗様にまつわるちょっとイイ話を紹介しましょう。

 

仙台市内に”田町通り”という通りが存在します。

 愛宕上杉通りとぶつかる短い通りなのですが、実はこの周辺にはもともと”田町”という集落があり、田を潰して割り出された町なので、”田町”と名付けられておりました。(東京都港区にも”田町駅”というのがありますね、全国にこの地名はあるようです)

仙台城本丸築城の時、周辺の住民15歳から75歳の男性が普請に駆り出されることになりました。(う~ん、15歳はともかく75歳には結構しんどいかも)

大事な大事なお城の建設の現場ですので、政宗様も工事の進捗には目を光らせて置きたかったのでしょう。ある時、政宗様が抜き打ちで見分(現場立会)をなされたことがありました。

そこで、早い時間から精力的に働いていたあるグループが政宗様の目に留まりました。

政宗様が「あの目を見張るようにバリバリ働いていてくれているのはどこの誰か?」とお付きの茂庭石見守(もにわいわみのかみ)を通じて聞いたところ、”田町”の住人たち

だということを伝え聞いて、その働きぶりに大層関心されて、自らのポケットマネーから三貫文を出して、「これで酒でも振る舞ってやってくれ」と。さらに、「あーついでに今日はお仕事休みにして、帰っていいから、明日からまた頑張って働いてね!」と粋な計らい。
 

鶴の一声による、特別ボーナス&特別休暇。 

ただし、これだけで終わらないのが政宗流の”観察眼”。
 
ちょうど田町のある場所は城下町の南の玄関口。奥州街道を通って、仙台城下に入ってきた旅人たちが勤勉で性格のいい人たちの街の風景を見たら、きっと好印象を与えるだろうと政宗様が見通していたのかどうかは定かではありませんが、後に田町に紙の専売権(一町株)を与えるのです。(紙は田町のお店に行かないと買えないということ)

 


「宮城県史」には上記のような資料が残されております

 

世の中、両目が付いているのに部下の働きを見てくれていない上司が多い昨今。

見て欲しいところを、ちゃーんと”独眼竜”でも見ているのが我らが伊達政宗様なのです。(^o^)

 

仙台にお越しの際は、是非とも田町通りをこの逸話を思い起こして、歩いてみてはいかがでしょうか?(美味しいお店も多いので)


※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。