仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(_ _)m
コロナ禍もかれこれ今年で3年目を迎えようとしています。
政府は、余程状況が悪化しない限り、5月8日からは新型コロナウィルス感染症の位置づけを現在の「2類相当」から「5類」に移行する方針を発表しました。
コロナ不況という荒波の影響を一番影響を受けたのは、飲食店だったかもしれません。
経営の常識として、実入りが少なくなれば、家賃や従業員のお給料も払えなくなる。やりくりをしながら、なんとか耐えしのいで乗り越えられた飲食店もあれば、赤字の挽回が叶わず、静かにお店を畳んだところもありました。
さて、「伊達六十二万石」の仙台藩の懐(ふところ)事情はどうだったのでしょうか?
今日はそんなお話を紐解いてみるといたしましょう。
これは、衝撃的な事実である。
あなたの会社に例えてみて頂きたい。
会社が一年間に上げる水揚げ。いわゆる営業収入よりも社員に払っている給料の方が多かったとしたら、、、。当然赤字になり、借金をしないと経営が継続できない。しかし、そもそもそんなことをする経営者がいるだろうか?会社が倒産するのは時間の問題である。
しかし、そんな信じられないようなことが仙台藩では行われていたのである。
伊達家は明治維新まで「地方知行制」を通し、「蔵米知行制」へ移行しなかった。
仙台藩の出入司を務めた茅場木工氏章の「古伝密要」の記録によりますと、仙台藩の石高が62万石56万4斗4号。それに対して、一関藩及び一門衆から緒士凡下、御扶持人まで給したお米の合計が62万159石5斗。これだけでも、103石ぐらいは赤字ということになる。
その他に参勤交代の費用や、江戸の上屋敷で暮らす妻子や家臣が暮らすための費用、さらには天下普請と呼ばれる御上から命令された土木工事、さらにはロシア警戒のための蝦夷地警備費用などなど、出て行くお金はエンドレス!どんだけ用意すりゃあ気が済むの?ってな感じだった。
結局のところ、あれやこれやと手は打つものの、所詮は「殿様商売」。仙台藩がやった経済政策と言えば、商人が用立ててくれた借金を最終的には、踏み倒すことぐらい。それで、大文字屋という商人は自己破産。升屋さんは「升屋札」という紙幣を編み出して、うまく立ち回ってはいたけれど、明治維新のどさくさに紛れて借金は回収不能となってしまった。
もしも、大文字屋や升屋に「半沢直樹」がいたら、果たして伊達家からきっちりと回収が出来たのでしょうか?文献に残っている記録によると、伊達政宗様の代にこさえた8万8千両(およそ88億円)の借金を、2代藩主で息子の忠宗様に借金の取り立てに伺ったら、なんとか一万両(10億円)は返してもらったんですが、差し引き残りの7万8千両(78億円)は貸した商人側が債権放棄をしたんだそうです。
身分制度のある時代が時代ですから、まかり間違えば商売が続けられなくなったり、命に危険が及ぶ可能性も無いとは言えない分けで、自分の家を案じて、泣き寝入りするケースの方が多かったのかもしれません。
「伊達男」としてのプライドと見栄を維持するのには、結構なお金が掛かっていたようです。
※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。