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みなさんは「お褥滑り(おしとねすべり)」という言葉をご存知でしょうか?
なかなか耳にすることがないですよね。
歴史に詳しい方でも、初耳だという方もいるかもしれません。
武家においての最重要課題、それは「お家存続」。
その家の当主がなにかしらヘマをやらかしてしまったり、もしくは領地をきちんと治められないと判断されてしまったときには、「お取り潰し」というご沙汰が出されることもありますが、なんとかしようと画策をしてもなんともならないのが「跡継ぎ問題」。
政宗様も24歳のときにのちの初代宇和島藩秀宗様、33歳のときに2代藩主となられる忠宗様を授かることが出来たので事なきを得ましたが、後継者問題には大変ご苦労されました。
実は「おしとねすべり」というのは、徳川将軍家の「後継者問題」に関係があるのです。
徳川三代将軍家光の時代。家格を重んじる政策から、徳川将軍の御台所(正室のこと)は皇族や公家若しくは名家のお嬢様から迎え入れることになりました。そうすると、温室育ちの箱入り娘なものですから体が弱い。ということは、お産に対する耐久力も心もとない。江戸時代ですから、医学的なことははっきりとは分かってはいませんでしたけど、高齢になると、①出産が負担 ②母子生命の不安 ③子供の健康障害の不安といったリスクが伴うことは解明されていました。そうは言っても、お世継ぎ誕生は幕府存続の至上命題。御台様のプライドを傷つけず、お世継ぎ問題をも解決する。そんな秘策を幕府は思い付いた。
どういうことかというと、御台所は三十歳を過ぎたら「おしとねすべり」と言いまして、要は将軍の夜の営みのお相手は強制的に卒業。その代わりに御台所のお付きの女中(御中﨟と言います)の中から、この人ならと見込んだ御中﨟(おちゅうろう)を自分の身代わりとして差し出します。
自分が目を掛けた女性ならば、仮に旦那を寝取られても自分の気はある程度収まるってことになるんでしょうかね。まあ、でも将軍も男ですから必ずしも御台所推薦枠の女性にお手を付けるという保証もありません。
かくして将軍家安泰のため、正室は30歳でもってお役御免。なので、「おしとね御免」という呼び方もあったそうです。
今の時代にこんな論法を持ち込んだら、コンプライアンス的に大問題になるでしょうし、そもそも女性陣からフルボッコにされて、ブログやTwitterは大炎上間違いなしといったところだったでしょう。
「おしとねすべり」に「おしとね御免」。
しかし、伊達政宗様の正室である愛姫様が八男竹松丸様を産んだのは42歳のとき。
果たして、伊達家には「おしとねすべり」はあったんでしょうかね?
※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。