あなたは知ってる?伊達家の「通字」について考える | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

仙台城のボランティアガイドが、仙台城の魅力や伊達政宗のトリビアな話を出し惜しみせず、ボリューム満載で語り尽くしまーす。(^_^)

仙台観光をお考えの方は、旅支度の前に予習としてご一読を頂ければ、仙台城が10倍楽しめるかも。

仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(_ _)m

 

はい、それでは今日も伊達政宗のヒストリアについて学んでいくとしますかね。

 

みなさんは「通字」って知っていますか?「えっ何て読むの?つうじ、とおりじ?」これ、「とおりじ」って読むんです。分かりやすいところで言うと、徳川家康って、2代将軍秀忠は置いといて(これは秀吉から「秀」をもらったからね)家光、家綱~まあ、途中違うところもありますが、代々「家」を名前に付けてますよね。これを「通字」って言います。(ちなみに2番手の通字は「吉」、綱吉、吉宗など)

 

つまり、先祖代々、決まった漢字を一文字リレーのようにつないでいくんですが、そのバトンみたいなものですかね。(バトンパスには十分注意しましょう)

 

もちろん「伊達家」にも「通字」ってあるんです。伊達家の場合、その筆頭はもちろんみなさんご存知の「宗」という字ね。なにしろ、伊達家の初代が「朝宗」ですから、そこから「宗」の字が「通字」になっているという分けです。

 

もろろん、途中で「宗」じゃあない名前の人もいましたけど、こういうのって創世記にはあんましこだわってなかったんですよね。ところが、どこかのタイミングで「武家の当主は代々通字を~」と厳格な格式を重んじるのが大好きな人が現れて、長男には必ず「宗」を付けなさい、ってな感じになっていったんだと思われます。

 

ちなみに、伊達家の「通字」の2番手は「村」なんですね。これって、伊達家の朝宗の次の2代目が宗村って言うんで、ここから来ているんだと思われます。仙台藩4代藩主綱村公、5代藩主吉村公、なんかがそれに当たります。そんでもって、6代藩主の名前、なんて言うと思います?ここで、政宗以来の「歴史は繰り返す」第2弾!6代藩主は「伊達宗村」と申します。

 

はい、そうなんです。伊達家の2代目と一緒ですよね。実は伊達政宗って歴代の中には二人いたんです。九世の伊達政宗様と皆さんがご存知の十七世の伊達政宗様ね。宗村様も二世と二十二世が同じ名前。そして、凄いことに「宗」と「村」という「通字」を二つつなげて名前にしてしまうという二刀流!

 

そう言えば、片倉家の当主は通称の「小十郎」を代々踏襲して名乗るっていう変化球もありましたね。

 

あなたも戦国武将の「通字」について調べてみるのも、面白いかもしれませんよ。(^^ゞ

 

※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。