あの仙台城の石垣の石はどこから運んで来たの? | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

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仙台城のボランティアガイドが、仙台城の魅力や伊達政宗のトリビアな話を出し惜しみせず、ボリューム満載で語り尽くしまーす。(^_^)

仙台観光をお考えの方は、旅支度の前に予習としてご一読を頂ければ、仙台城が10倍楽しめるかも。

仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(_ _)m

 

仙台城において、ひときわ存在感を放つものと言えば、ズバリこれですかね。

 

 

そう、お城の北側にそびえ立つ「北壁石垣」です。

 

どうです?見事なものでしょう!

 

この絶景を地下鉄仙台国際センター駅からの急勾配を登り切って、眺めたあなたは偉い!

息が切れて、疲労困ぱいだったかもしれませんが、達成感はハンパなかったはずです。

 

この「北壁石垣」は切石積みと呼ばれる技法で造られたもので、今から351年前の寛文年間(1670年頃)に積み上げられたものなのです。ちなみに、仙台城ではこの切石積みともう一つの石積みの技法である野面積を確認することが出来ます。一粒で二度美味しいのが仙台城のお得なところ!(^^)!

 

この仙台城の石垣は伊達政宗様の築城以来3度に渡り、積み直しをしたことが確認されています。

 

【第1期石垣】

仙台城の普請にあわせて1601年頃に作成、築石には野面石の構成で、構造として階段状に積み上げられていました。北東部の勾配の傾斜は約48度。1616年の大地震で崩れ落ちたと考えられています。

 

【第2期石垣】

第1期の石垣に被せるような形で野面積で構成されました。全面野頭積で築石は割石で奥行きが長くなるように工夫され、第1期に比べて大型化し、表面にはノミで加工した跡も確認されました。石の加工技術が進歩し、勾配も傾斜60度にレベルアップしました。

 

【第3期石垣】

これが、皆さんが現在ご覧になっている石垣です。第2期の石垣に被せるように、築石は野面積みから正面が四角な切石積に変化し、且つ石の高さを水平(横目地)に揃えて積み重ねられました。

また、雨水を排水するための暗渠を作成するなどの工夫を施し、崩れにくい構造へと進化。1668年に崩れた第2期を修復したものです。切り込み接の構造を持ち、角石には算木積で構成され見事なアーチを描いた石垣の勾配はついに約75度に達しました。

 

さて、ここで問題です!

 

「第3期に使用された石はいったいどこから運ばれて来たのでしょう?」

 

正解は仙台城本丸から直線距離にして5㎞以上も離れた国見からなのです。(仙山線に国見駅という駅があります)

 

国見峠の大石原と呼ばれる周辺から「玄武質安山岩」に分類される自然石を切り出し、牛に引かせて山道を下り、一部広瀬川をいかだに載せ城下まで運ぶという過酷な大事業だったのです。その際、あまりにも急な坂道なので牛がうなり声を上げながら運んだので、「うなり坂」と呼ばれる地名が現在も残っています。

 

こちらが、現在の「うなり坂」

 

 

確かに今でも狭くて、かなりの急勾配ですね。昔の牛さん、ご苦労様でした。m(_ _)m

 

更に牛が無事に橋を越えたことが由来となったとされている「牛越橋」が明治38年に掛けられています。(築城当時は牛越渡しがあったようです)

 

さて、石垣に使われた石の仙台城までの道のり、「STONE ROAD TO SENDAI CASTLE」はいかがだったでしょうか?

 

みなさんも実際に仙台城を訪れて、石垣とその石が運ばれてきた方向を眺めてみて、思いを巡らせてみてはいかがでしょうか?

 

仙台城でみなさんのお越しを心よりお待ちしております。m(_ _)m

 

※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。