以前のブログで、「高関税での管理貿易や自国優先主義は遠からず自分の国にも悪影響を与える事になるだろうが、今はそんな理屈は相手にされない」と書いたが、そのメカニズムを明確には説明出来なかった。

今日それを判り易く説明している以下の記事を読んだ。著者は経済学者の野口悠紀雄氏で、超整理法他のベストセラーで有名だが、何より経済の理屈を判り易く説明しつつ鋭い切り口で解説する人だ。経済の式が出て来るので一見読みづらい感じもあるが、落ち着いて読めば比較的単純な理屈だと判る。

鍵となる式は以下だ。(紫文字は本文から抜粋)

(1)国内総支出+輸出=国内総生産+輸入

国内総支出とは消費支出や住宅投資など国民の豊かさに繋がる物。右側は付加価値の総額であり、国内総生産とは国内での生産で、輸入は他国での生産である

⇒ 式左側の「輸出」を右側に移すと以下の式になる

(2)国内総支出=国内総生産+経常赤字 (経常赤字=輸入-輸出)

トランプは高関税で輸入を減らして経常赤字を減らそうとしているが、これは式で判る様に国内総支出という国民の豊かさを減らす事になる。つまりトランプは国民を不幸せにしようとしている事になる。

 

そうは言っても経常赤字で国民が豊かになるという図式は持続可能なのか、という素朴な疑問は出て来る。

その点は以下の式で考えるとイメージが見えて来る。

(3)経常収支の赤字=金融収支の黒字 

経常収支=貿易収支+サービス収支 

金融収支= 海外資産からの収益+対外借り入れの増加+海外資産の取り崩し

経常収支の赤字が続き、しかも、海外資産からの収益だけでそれを賄うことができないとすれば、海外資産を取り崩すか、海外からの借り入れを増やすしかない。しかし、そのような国に投資するのは極めて危険なことだ。対外資産が減少して、それを返済することができないような事態に陥る可能性が高いからだ。だから、借り入れを増加し続けることができなくなるだろう。

対外収支の赤字とは、極端にいえば「働かないで食べていける」ということだ。そんなうまい状態をいつまでも続けられないのは、当然といえば当然のことだ。

 

要するに、トランプが心配する様に、貿易赤字が続く事は不健全ではあるのだが、では此れ迄アメリカは何故長期に渡り貿易赤字を続けながら、国民は豊かになり続けられたのかとなる。その理由はアメリカという国への信頼感が大前提にあり、それを元にドルが国際的な基軸通貨として通用して来たので、長期に渡る経常赤字は問題にならなかったという理屈だ。

そして「アメリカへの信頼」の基盤として以下の点が上げられている。

一人の独裁者に権力が集中してしまうことがないように、三権分立が機能している。

そして中央銀行の独立性が保障されている。

このような制度的な仕組みによって、バランスのある安定した政策が実行される。
そして、自由な研究活動が認められるので、能力のある人々が世界中から集まってくる

基礎的な研究開発に資源が投入され、新しい技術が開発される。

こうしたことによって新技術が開発され、新しい経済活動が興る。

そして経済成長を持続できる。
それに加えて、軍事的・地政学的な優位性を保持している。

このため、ドル資産を保有してもデフォルトの危険は少なく、将来、十分なリターンを伴って回収できると確信できる。
 

トランプは三権分立を骨抜きにし大統領三選も画策している節があり、中銀への圧力を強めたり、ハーバード大学の留学生受け入れを禁止したりと、アメリカの信頼性を失わせる施策のオンパレードである。

トランプの愚策と言われる所以だが、果たして本人や取り巻き達はこの様な指摘を冷静に議論する節度を備えているのだろうか。裸の大様に本音をぶつける家臣は居ないというのが通り相場であり、だからこそ裸の王様なのだが、矢張り困りものだ。

 

前回の投稿から3ヵ月近く経ったので、その後の経過と現状を纏めてみる。

 

 

 

5月9日の写真:

前回の項目番号順に:

① 庭の株の水耕根出しは全て枯れて脱落。

 

② (写真右下の2株)農園お隣のMさんから頂いた枝で作った水耕根出し: 水に竹炭を入れた2株だけは根が少しだけ出たので、ポット上げして冬越しをした。

 

③ (写真左。2年目の株)庭の株を剪定した鉢: 冬越しの後、葉っぱも増えて色も濃い緑色の元気な株になった。

 

④ (写真右上の3株)農園お隣のMさんから頂いた枝で作った挿し芽: 冬越しは5株で始め、その内の2株を姉に譲ったので3株残ったが、3株とも元気な緑の葉が育った。

 

という訳で冬越しは概ね成功し、5月中旬になり最低気温が15度Cを下回らなくなったので庭に定植し、支柱を立ててネットに絡めた。

 

と此処までは順調そのもので、今年は美味しい実が食べられそうだと期待に胸を膨らませていたのだが、そんなに甘くは無かった。定植した後は毎日チェックして活着したかなあとのぞき込んでいたのだが、どうも日を追うごとに葉の色が薄くなり元気が無くなっている感じがする。

風に揺られる葉っぱを見て少し心配してはいたが、定植後10日経過した昨日の夕方に葉っぱが風で千切れたり色が変わっていた。

インターネットで調べると「若い苗は風に弱いので、風の強い地域は防風ネットや不織布で防御してあげる事が大事」とある。此れ迄カボチャやキュウリではネットに這わせても風で弱るという経験をした事がなかったので、全く無防備にイソイソとネットに這わせたのが大間違いだった様だ。定植時は先ず大きめの行灯で囲ってあげ、株がある程度育ってからネットに這わせるべきだった。どうやら素人には在りがちなチョンボで、今年は美味しい実には有り付けそうにない雲行きだが、まあこれも良い経験だろう。

アタフタと応急処置で防風の囲いを設置してはみたので、此れで復活してくれると嬉しいのだが、さていかが相成りますやら。

キャベツを収穫した後そのまま畝に残して置くと、株の付け根から新芽が幾つも生えて来て、2~3本に間引きすると夫々が育って上手く行けば結球もする無限栽培のユーチューブを見たので、試してみたくなった。

 

昨年秋から菌ちゃん畝で栽培して収穫の終わったキャベツ・赤キャベツを他の畝に移植して経過観察を始めた。

これは菌ちゃん畝から別の有機栽培畝(米糠・枯葉・籾殻・竹炭+枯草マルチ、雑草と共生)に4月12日に移植した赤キャベツで、生えて来た新芽(2世代目のキャベツなのでセカンドキャベツと呼ぶ)を3本に間引きして1カ月弱経過した姿だ。新芽は未だ小さいが順調に育ちそうな気配だ。(真ん中に切り株が見える)

こちらは菌ちゃん畝から別の菌ちゃん畝に4月5日に移植したキャベツで、生えて来た新芽を同じく3本に間引きして約1ヵ月経過した姿だ。(写真が判り難いが、切り株の周りから新芽が生えている)

以下写真は左端と右端二株がセカンドキャベツで、真ん中は同時に植えた実生苗二株。


 

何れのキャベツもホームセンターで買った苗から育てたのでF1品種だろうから、普通は種取りには適さず収穫して終わりだが、この方法ならクローンが増えるだけなので、成功すれば何度も繰り返して栽培が出来そうだ。但し秋冬キャベツが果たして夏に育つのかが一番の気掛かりだが、ユーチューブのケースではトウ立ちしても構わずに一年を通して栽培している様な印象だったので、試す価値はありそうだ。

 

オマケだが、キャベツの芯を水に浸けてリボベジする動画を良く目にするが、それと少し似た様な話。セカンドキャベツで間引きした脇芽はサラダにして食べたのだが、2本だけ試しに水耕栽培で発根するかを試してみた処、数日で確りと根が出て来たので、これを定植する方法で無限栽培する手もありそうだ。

こんな方法で年中キャベツを作り続けられたら、種や苗を買う必要はなくなりそうだ。

久し振りに旅行に出掛け、連休前に二泊三日で五島列島を回って来た。

宿泊した本島の福江島は、遣唐使の寄港地にもなっていた島で、西端の大瀬崎灯台は断崖絶壁の上にあり素晴らしい眺めだが、隣の奈留島と久賀島の半日ガイドツアーが更に良かった。2018年に「長崎と 天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」としてユネスコの世界文化遺産に登録されたそうで、「建築物ではなく、禁制や弾圧の中200年以上信仰を守った事が世界的にも例を見ない、という事が評価された」という解説で、教会は皆小ぶりでもその歴史に思いを致すと味わいのある建物ばかりだった。

(大瀬崎断崖)

 

(大瀬崎灯台)

 

(江上天主堂)

 

(堂崎天主堂)

 

(殉教者聖ヨハネ五島の像)

豊臣秀吉以降、江戸時代を通じて明治時代の初期までキリスト教の禁制は続いたのだが、踏み絵を拒絶して改宗を拒んだ結果過酷な運命を強いられた信者達の悲劇は、信教の自由のある世界に住める私達世代の幸せを再認識させられるが、一方ではカトリックが排他的な一神教である事も悲劇の一因と言えるのかも知れないと感じた。ガイドさんからは遠藤周作の小説を元にした映画「沈黙 -サイレンス-」も紹介されたので、観てみようかと思う。

 

(バラモン凧)

五島名物のバラモン凧は変わった絵柄で、よく見ると武将の兜に鬼が噛み付いている。鬼に後ろ姿を見せず正面から挑んだ侍の勇敢さを表しているそうだ。

 

五島は世界遺産登録後も余り俗化されてなくて、看板や土産物屋も少なく、海、山、田園の雰囲気が心地良い旅行になった。

早い物で家庭菜園を始めて3年目の春になったので、なるべく初めての花を集めてみた。

協生農法の畝では成長が覚束ない小さな株は収穫せずに、なるべく畑で一生を過ごして貰う様にしているが、そんなちっぽけな野菜でも子孫を残そうとする遺伝子の司令は強力な様で、枯れずに確りとトウ立ちして花を咲かせ種を残そうとする姿は、健気で愛おしくなる。

 

春菊

 

大根

 

ブロッコリー(2回目)

 

水菜

 

リーフレタス(2回目)

 

芽キャベツ

 

ホウレンソウ

 

ライ麦

 

高菜

 

 

 

今年73歳の誕生日が免許更新のタイミングとなるので、その数ヶ月前に高齢者講習を受講する様にとのハガキが届いた。対象者は70歳以上75歳未満の高齢者だ。最寄りの自動車教習所を指定されていたので予約を取り、今日その講習を受けて来た。


此れまでの免許更新は、免許センターや警察署で30分くらいの講習を受けると当日発行されるので簡単だったが、70歳を超えると全員2時間コースの実技と座学の講習受講が必須となる。此れは20年くらい前からの法律らしい。実技と言っても、教習所のコースを回って、右折、左折、一時停止、時速30km程度での一定速度走行、段差乗り上げ等の簡単なメニューをこなすだけで、試験でもないのでリラックスして運転出来10分くらいで終わった。


座学では視野と動体視力の検査があったが、此れらは誰でも年齢と共に低下し、気が付かない内に事故のリスクが高まっていると教えられ、自分の今のレベルをチェック出来たのは良かった。講習を受けて終了証を渡されるが、免許証は未だ貰えなくて、改めて警察署で此の終了証を持参すると漸く更新手続して発行されるという段取りだ。2回手続きがあるのは面倒だが、高齢ドライバーへの注意喚起とレベルチェックは有効だと感じた。


最近の法律改正で次回の更新は私の場合3年後となるらしく、その際は認知機能のテストをクリアしないと免許更新は出来ないと聞いた。田舎生活で免許無しはアウトだから、あと3年認知症が出ないことを祈るしかなさそうだ。


更に認知機能をクリアしても、それ迄の過去3年半以内に交通違反があると、実技試験の関門が増えるらしい。実技試験と言っても、今回講習で受けた内容だから簡単そうだが、講師からは「簡単に見えても、試験となると緊張して心臓バクバクで失敗する人が居ますから、呉れ呉れも交通違反はしないで安全運転しましょう」と言われた。

成程、此の縛りは結構有効だ!警察か公安が考えたんだろうが、中々頭が良い。

前回はニックボストロムのTEDプレゼンで、超AIが出現(シンギュラリティ)する可能性と、その際に人間と同じ価値観を学び取る動機付けをして人間の側に立つように作り込む事が必須である、という話を紹介したが今回はその続き。

 

最近の流れを見ているとAIに関する報道は盛んだが、内容はAI導入による果実をどう活かすかと言う事や、セキュリティ・プライバシーリスクへの対策・運用ルールの決定等、既に目に見えている問題点の解決策に関しては議論が進んでいるものの、ボストロム氏が警鐘を鳴らす超AIの出現リスクに関しての議論は余り高まっていない印象である。

試しに、此の事に関してマイクロソフトのCopilotに質問してみた処、以下の答え(紫文字)が帰って来た。

「各国や国際機関ではAIの規制に関する議論が進められていますが、シンギュラリティのリスクに特化した規制はまだ十分に整備されていないのが現状です。」

 

この理由は恐らく、超AIの出現(シンギュラリティ)と言われても、肌感覚としてはずっと先の事だろうと感じて優先順位が低くなる事がありそうだ。又仮に真剣に考え始めた場合は「人間の価値観」とは何かを定義する事になるが、ただでさえ価値観は国・民族・宗教・個人等々色んな要素によって異なる為、最大公約数的なものは決められるとしても、対立する価値観を如何に扱うかというのは答えのない問題となりかねない。

 

この二つは地球温暖化で見て来たデジャブの感覚がある。温暖化対策に関して人々の関心が低い理由の一つは「一般市民の肌感覚として、問題が起こるのはずっと先の事だろうと感じている事」がある。もう一つは真剣に考えているCOP参加国の関係者でも、化石燃料を燃やして富を築いて来た先進国と、此れから豊かになりたい途上国との間で利害の対立があって、同列の化石燃料の使用抑制が合意出来ずに中途半端な対策でしか妥協出来ない現実がある。

 

温暖化対策が手遅れになると、元には戻れないTipping Pointを迎えてしまうと言われて居る事と、シンギュラリティ対策が手遅れになると、AIを制御出来なくなるという構造は、良く似ている。

 

勿論温暖化は起こらないと主張する懐疑派はまだ居るし、シンギュラリティは起こらないという専門家も居る。出来ればそうであって欲しいとは思うものの、希望的観測でそちらに賭けて何も手を打たず、実際にそうなってしまってから動いたのでは手遅れとなるのは明白だ。後の世代から無責任と言われない為には、今想定される最悪リスクに関して世界が一体になって議論を重ねて慎重に進める事が必要なのは間違いない。

 

という事で、矢張り本能に任せる時代に戻って国際協調が後退してしまうのが悩ましい。

昨年11月にホームセンターでまだ売っていた白菜の苗を購入し、菌ちゃん畝2箇所に2株ずつ定植した(11月10日と16日)。白菜栽培は初めてで良く知らなかったが、本来は8〜9月が定植時期とあり、タイミングがかなり遅かった様だ。

貸農園の周りの区画では、白菜達が年内にどんどん結球して収穫され畑から消えて行くのだが、私の畝の白菜だけは成長がのんびりで、結球の気配も無く佇んで年越しした。

新年に入っても相変わらずで、2月になっても葉は大きくなるが一向に結球する気配がない。
諦めかけていたのだが、3月に入って葉っぱが真ん中に集まって来た。

 

外出と体調不良で2週間ほど畑を留守にしてしまい、久し振りに結球を楽しみに畑に行ったら、最初の一畝は何と結球した上にトウ立ち迄して菜花が咲いてしまっていた。

もう一畝を見ると綺麗な結球が見えたが、良く見るとこちらも菜花が出かけているので、慌てて4株全部収穫した。

白菜の標準的な栽培日数を調べたら定植から40~80日とあったが、私の収穫日(3月26日)は定植から130日目、136日目と超超スローペースの成長だと判った。無肥料菌ちゃん畝2シーズン目の昨年は、ジャガイモ・キュウリ・カボチャがイマイチの出来で畝の作り直しも思案中なのだが、アブラナ科のブロッコリーやキャベツは毎回諦めたり忘れかけた頃に確りと大きく育ってくれて、今回も同じアブラナ科の白菜が似た様な結果になった。いつも私の定植が遅れて生育の遅い寒い時期と長くかぶる事もあると思うが、それよりも無肥料栽培は時間がゆっくり流れる物だとわきまえ、そろそろ時間軸に慣れる事も大事な様だ。

 

ユーチューブで白菜の菜花はアブラナ科の中で一番美味しいと聞いた事があったので、食べてみると確かに甘くて茎も柔らかく美味だった。花は綺麗だし葉っぱも普通に食べられるので、家庭菜園ならではのトウ立ち白菜も悪くない。


 

強国は嘘つきという話で、本能に従う時代が戻って来るのは構造的な物なのかもしれないと書いた。

地球温暖化という人類全体の課題を前にして、国家間の協調がかつてないレベルで求められるタイミングで、本能に任せる時代に戻ってしまうとしたら、それが一番悩ましい処だと感じる。

 

そしてもう一つ気になる事があるがそれはAIだ。

目覚ましい技術開発でAIが広く生活に浸透して来たが、最近はディープフェイクと呼ばれる偽ビデオが詐欺に使われる等厄介な事に人々が振り回されているのを見るに付け、一体人類はAIを正しく制御出来るのかという不安感がある。以前TEDプレゼンでそんなテーマを見た覚えがあるので、調べたら2015年のニックボストロムの「人工知能が人間より高い知性を持つようになったとき何が起きるか?」というプレゼンだった。

 

10年前のプレゼンで当時はちょっとSF的な印象で聴いていた覚えがあるが、改めて今見直すとプレゼンが指摘するシナリオのイメージに沿って、此の10年で世の中は様変わりしたと感じる。

プレゼンによると、ヒトの神経細胞の信号伝達回数は200回/秒で速度は100m/秒だが、電子機器の信号伝達回数はパソコンでもギガヘルツ(人の100万倍)、処理速度は光速(人の150万倍)であり、更に人の知能は脳が入る頭蓋骨のサイズという制約を受けるが、AIのサイズは無制限に大きく出来る、という事からもAIが人間より高い知性を持つ可能性は充分あり、寧ろ今はAIが休眠していると考える方が理に適っていると言う。そしてプレゼンの後半は未来へ向けての警鐘なのだが、その辺りの要点を書き出してみる(以下緑文字)。

 

AIの進化が続くと何れ人間の知恵を超える様な超知的機械(便宜的に”超AI”と呼ぶ)のレベルに至る事は充分考えられる。超AIは設定した目的Xを達成する上で非常に強力な最適化プロセスだが、目的Xの設定を間違えると人間が認めないような想定外の行為をしてしまうリスクがある。故に、超AIに与える目的Xの定義が人類の価値観に矛盾を生じないか、定義を良く吟味する必要がある

 

人間が認めないような想定外の行為が起こった際には、超AIのスイッチを切れば済むだけと思いたい処だが、超AIは危険を予知して自己防衛する可能性がある。つまり超AIは人間にスイッチを切られるリスクを想定して、事前に色んな対策を超AI自身が仕込んで置くことが充分想定されるので、人間は超AIを制御できると高を括らない方が良い。

 

プレゼン12分目の辺りに色んな可能性が揚げられているが、例えば回路内部の電極の振動で発生した電波を使って通信する等は、超AIなら出来そうな気もする。

 

つまり、高度に知的な魔人をいつまでも壺に閉じ込めておけるとは思わない方がよくて、遅かれ早かれ魔人は出口を見付けるという事だ。そうなると、人類は超AIが逃げ出してしまっても危険が無いように作り込む事が最重要課題となる。その為には超AIに人間と同じ価値観を学び取る動機付けをし、人間の側に立つように作り込む事が必須である。

 

超AIとは一時良く話題になったシンギュラリティの事だが、続きは次回。

いすみ竹炭研究会の竹炭作りには月2回のイベントに都合が付けば参加し、平日の作業にも時々参加している。

 

貸農園オーナーの敷地にも竹林があって毎年春には筍を頂戴するのだが、竹林整備と伐採した竹の処分には苦労していると聞いたので、「伐採した竹は竹炭にするのが良いと思いますよ」と話したら興味を示された。菌ちゃん農法の吉田先生が勧める無煙炭化器を紹介したが、価格が結構高いので別の方法を調べる事になった。オーナーはこうと決めたら動きが速いのは毎度の事で、今回もユーチューブで色々調べられて、土に穴を掘って周りを囲えば出来そうだとなり、次に会った時には1m径くらいの穴を掘った炉が出来上がっていた。

 

いすみ竹炭研究会のメンバーに伝えたら、「それは良いですね」と喜ばれたが、近所からのクレームが出ても困らない様に消防署への届けだけはしておいて下さいと言われた。調べてみると竹炭作りは野焼きに分類される様で、野焼きは法律で禁止されていると判り一瞬ギョッとしたのだが、「農業、林業、漁業を営むためにやむを得ない場合は例外として認める」とあり、貸農園のオーナーは営農者でこの例外規定が適用されると判りホッとした。早速オーナーに同行して最寄りの消防署に届け出て一見落着。

 

竹林の横に積んである竹を二人で炉の近くに運び込み、1回目はいすみ竹炭研究会イベントの要領を思い出しながら、始めは私が火を起こし、その後は手順を説明しつつ二人でやってみた。最初は煙が上がるが、暫くすると空気の流れが出来てクリアーに燃え始め、

更に竹を加えて行くと大きな炎が上がり、

かれこれ30分程度で火勢が弱まった処で水を掛けて消火。初回にしてはスムーズに進み、良い感じの竹炭が出来上がった。

その後もオーナーは定期的に竹林整備と竹炭作りをされて環境改善が進み始め、私も時々竹炭のお裾分けを頂いている。