手水舎
南大門をくぐって参道を歩く。
東大門へ通じる道を渡った右側に手水舎があります。
ここの手水舎の龍は特徴のあるかたちをしています。

8月下旬に法隆寺に行き、手水舎の水に触れました。

この絵は、手入舎内の透き通った水が気に入り描きました。

 

奈良県 平城宮跡

テーマ:

平城京は、今から1300年ほど前に奈良市に建設されました。その中心の平城宮には天皇の住まいや官公庁が集まっていました。 甲子園球場が30個も入る広大なスペースには、現在様々な公開施設があります。
 平城宮跡資料館では出土遺物や復元模型の展示、遺構展示館では発掘状況をそのまま保存。 復元された壮大な朱雀門、季節の花が美しい東院庭園も見どころです。
また展望もすばらしく、奈良盆地を囲む山並みを一望でき、東大寺大仏殿や二月堂も望めます。奈良時代の歴史とロマンに是非触れてみてください。
今年の8月下旬に平城宮跡を見学しました。暑くて大変でしたが、絵にする事で良い思い出になりました。

 

 

 

 

 

 

奈良県 春日大社

テーマ:

春日大社(かすがたいしゃ)は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社。旧称は春日神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「下がり藤」。

全国に約1000社ある春日神社の総本社である。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されています。

今年の8月末に春日大社に行きました。外人が多くてびっくりしました。この絵を描いたのは、燈篭が多くて苔むしてるのが気に入りました。

 

 

興福寺 阿修羅像

テーマ:

日本美術の中でも特別な人気を誇る国宝・阿修羅像(興福寺蔵)は、“三面六臂(さんめんろっぴ)”の美少年のごときお姿。“三面 ”とは顔が3つあるということ。そして「臂」とは、ひじのこと。つまり“六臂”とは、腕が6本あるということだ。

ほっそりした体躯から伸びる6本の腕にも、私たちを魅了する阿修羅の少年美が宿っている。今は6本とも何も持っていないが、合掌している真ん中の2本以外は、かつて持仏(じぶつ)が握られていたといわれています。

天高く掲げられている2本の腕は、左手に日輪(にちりん。太陽)、右手に月輪(がちりん。月)を掲げていたという。中空を浮遊しているような2本の腕は、左手に弓、右手に矢を持っていたといわれています。

今年の8月下旬に興福寺の阿修羅像を見ました。写真は撮れないので、5分程度阿修羅像の前で憂いを帯びた顔をしっかりと頭に刻み込みました。

 

 

 

 

 

 

 

法隆寺

テーマ:

法隆寺は文化財の宝庫です。

寺院としての法隆寺そのものが1993年12月に世界文化遺産に指定されただけでなく、敷地内に建つ125棟の建造物のうち、国宝が17件、重要文化財が35件を占めています。

さらに、寺院に納められている仏像・仏具のほとんどが、現存最古と言われる飛鳥・白鳳・天平時代の作です。

これらすべてが、法隆寺の見どころと言っていいでしょう。ただし、全部を短時間で見てまわるなどとても無理。そこで、多くの人はいくつかある寺院内のコースをたどりながら見学をしています。

今年の8月下旬に法隆寺に行き、素晴らしい仏像を沢山見る事が出来ました。 

 

 薬師如来のまたの名を医王如来ともいい、医薬兼備の仏様です。人間にとって死という一番恐ろしいものを招くのが病気です。体が動かなくなるのも病気なら、身の不幸、心の病も病気です。欲が深くて、不正直で、疑い深くて、腹が立ち、不平不満の愚痴ばかり、これ皆病気です。応病与薬[おうびょうよやく]の法薬で、苦を抜き楽を与えて下さる抜苦与楽[ばっくよらく]の仏様。だから人々に仰がれ、親しまれ、頼られていらっしゃるのです。

今年の8下旬に奈良県に行き、薬師三尊像を見てきました。あらかじめ判ってはいましたが、仏像の写真は撮影禁止で撮れなくて残念でした。

 

宮崎県 鵜戸神宮

テーマ:

太平洋に突き出した鵜戸崎岬の突端にある洞窟の中に、朱塗りの色鮮やかな御本殿がご鎮座する珍しいものです。
岬のまわりには奇岩、怪礁が連なり太平洋の荒波が打ち寄せて、美しい景勝地となっています。
また、男性は左手、女性は右手で願いを込めながら運玉を投げ、亀石と呼ばれる岩の枡形に入れれば願いが叶うといわれています。

熊本県 菊池渓谷

テーマ:

菊池渓谷は、菊池市街地から東へ約 17km、阿蘇外輪山の北西部の標高500m~800mの間に位置し、1,180haの広大な面積からなる”憩いの森”です。
菊池川の源をなす菊池渓谷は、うっそうとした天然生広葉樹で覆われ、その間をぬって流れる淡水は、大小さまざまな瀬と渕と滝をつくり、その変化に富む渓流と,美しい森林とがおりなす姿は絶景です。

また、天然クーラーと称され、夏の平均水温は13度と低く、身を切るような清流は避暑地として最適であり、渓谷ぞいは、川のせせらぎと小鳥のさえずりで、楽しい夢をさそい、秋は渓流に映える紅葉がすばらしく、春は新緑、冬は全山に霧氷の花が咲くなど四季を通うじて訪れる人々の心をなごませてくれるところです。

 

平成23年(2011年)宮崎県日向市、大御神社境内の神座前で「龍玉」、境内社 鵜戸神社で「昇り龍」が発見され話題になりました。
この水窪周辺は今から五千年前(縄文時代)の人が龍神信仰をしていた古代遺跡です。
古代の人々は、岩を渦状に刻み龍を表し底には生命の源である龍玉を納め、それを守るように山水を注ぎました。
当時の人々は龍玉を抱え守る龍神の姿に日々の安寧と守護を祈り、後々の世までも続く幸福(しあわせ)を願ったのでしょう。
また皇孫瓊瓊杵尊がご降臨されたおり「神座」(かみくら)にて絶景の大海原を眺められたと伝えていますが、この岩上も古代祭場であることが判明しました。
洞窟の絵は初めて描きました。私は石を描くのが好きなので、余り苦労せずに仕上げる事が出来ました。

 

 

大分県 大分元町石仏

テーマ:

大分元町石仏
大分元町石仏は、上野丘台地東端の凝灰岩の崖に刻まれた石仏で、岩薬師(いわやくし)とも呼ばれます。
昭和9年(1934)に国指定史跡となり、県南の臼杵石仏と並ぶ大分県を代表する磨崖仏です。
伝説によれば敏達(びだつ)天皇の時代に、百済から来朝した日羅の作と伝えられていますが、具体的な史実を背景にしたものではなく、初期仏教集団の地域的活動によるものと思われます。
木造瓦葺の覆堂の中、露出した溶結凝灰岩の岩肌に薬師如来坐像を中央に、左に多聞天〔たもんてん〕立像をはさんで、その妻子とされる善膩師童子(ぜんにしどうし)と吉祥天像が左右に、右に不動明王をはさんで左右に矜羯羅〔こんがら〕、制タ迦〔せいたか〕の二童子が刻まれています。
薬師如来坐像は高さ約3メートルで、丸彫りに近い厚肉彫りに刻みだされています。
肉髻(にくけい)は高く、地髪部にかけての螺髪(らはつ)は整然として、丸い顔面に弓状の眉、厚いまぶたに切れ長の伏せ目、花弁の形をした小児のような唇、豊頬は優しく美しく、穏やかな童顔は、定朝様の伝統を踏襲しており、近年の研究によれば、11世紀後半の造像で、このころ元町付近は「勝津留畠(がちがづるはた)」と呼ばれ、宇佐神宮領に組み込まれており、同宮の強大な後ろ立てによる造立と考えられています。
実物の石仏と色が少し異なりますが、色を強調して描いてみました。