本村洋さんをこの事件によって知ることになった。
知るといってもほんのわずかな記者会見とかでの彼だが。
報道ステーションで、彼が前にスタジオで話しているのを見る。やはり惹かれる。
古館が
「我々メディアそして政治家も含めてこの国の言動があまりにも軽い。
しかし本村さんの発言がずっしり重いのはなぜでしょうか?」と。
「とことん自らの理性と感情とが向き合い対峙して、時間をかけて出てきた言葉だからじゃないか」と。
9年の月日を経て昨日の死刑判決。
一時は結成された弁護団に誘導され被告は一転「本当は殺す気はなかった。甘えたいと思った」とか、
自らの生い立ちとか色々死刑を逃れるための言い訳を出してきて、
申し訳ないという反省の気持ちが全くなくなった事。遺族の気持ちを逆撫でした事。
記者会見で「死刑判決で癒されますか?」というアホな質問(軽!)に、「死ぬ時までわからない」とキッパリ。
人の命の重さ。殺めたことに対しての責任。この国からこの事件で3人の命を失う事になる。
みながどう受け止め、犯罪の被害者も加害者もない社会を、安全な環境を作れるのか考えていかなければいけない――彼のメッセージ。
ずっと本村さんは被告の気持ちに着眼してきた。人として人に向かう気持ち。
最も社会生活を送る上で必要な精神、日常態度。被告はどういう育ち方をしてきたのか。
それ以上に大人という年齢に達して自らをどうコントロールできていたのか?精神的自立はできていたか?
被告の父親も何度か取材モザイクで見たが、本当に息子にどう声をかけていいかわからない・・
といったなんとも言えない気持ちになる辛いものだった。
sdch自身、都会で生活していると、蟻んコのようにすさまじい数の人間に毎日遭遇する。
命の尊さや重さなんて、日常というスピードに吸い込まれ、あくせくしているうちに、
どこかで軽く思っている自分がある。一人くらい居なくなっても誰も気付きやしないだろうと。
でも、
この世に生まれてきただけでも、奇跡的な確率なのだ。やはりそれぞれに意味はあると思う。
