国際規格に対応できない中小企業。僕は心配だ。 | 某社員?

某社員?

私的な考え

部品を自在に使って好きなものを作ることのできる
技術者が少なくなってきております。

ココで言いたいことは
ある出したい答えというものがあって、そこから問題を作る能力。
問題があって(誰かが問題を作って)答えを出すというものではございません。

不可能か可能かを決めるのは あくまでも科学的な原理原則であり、
「既成の手段方法」ではないわけですから、
技術者には柔軟性が最も要求されます。

でも、ここがとんでもなく難しい。
ルールはあるのだが、そこから自分が考える自由に基づいて作る。
誰も助けてはくれません。。

とりあえずできることは、ある分野だけを極めるのではなく
広範囲に渡る原理原則を理解しなければなりません。

これは数学・物理的分野を極めるだけでなく、文学分野、芸術分野など
固定観念にとらわれず、他の分野にも触れる必要があります。

昔、よく試験勉強などで、答えを知りたいと思ったこともありますが、
それはただ良い点を取りたかっただけでした。

大切なのはそんな事じゃなかったのに。
恥ずかしながら、最近になって気付きました。。


太平洋戦争のとき、ゼロ戦の価格は当時1機5万円、
一方、グラマンの価格は当時の日本円換算で2万円。

何が違ったかというと、
ゼロ戦はそれ自体で完成を目指したものだったのに対し、
グラマンはこれからの研究開発を見越して余裕のある設計をし、
機体を作りかえることなく、新しい機能をどんどん追加するようにした。
よって機体を作りかえる必要のない分、トータルコストは安くなるわ、
どんどん性能が上がって、ゼロ戦の性能をあっという間に
追い抜いてしまったということになったわけです。


この「痛い経験」の伝承も20年くらい前よりされなくなっていて、
日本人の悪い癖がまたまた台頭してきていました・・・


戦後、自動車を作った技術者は戦時中の飛行機技術者がほとんどで、
これを身をもって知っていたことから、
数々の名車が生まれたわけですが、
20年くらい前からはどの会社のどの車を観ても似たようなもので、
名車がありません。

スバル360は呉海軍工廠で海軍戦の設計に携わった
百瀬博士が作った車ですが、
昭和33年の発売開始から昭和48年の生産終了まで
車体そのものの設計は全く変わらず、
当初11馬力だったものが最終的には38馬力になったというのは
有名な話です。

こういうものが今、日本にはなくなってしまっています。

同じ敗戦国であるドイツ、イタリアでは、
今日でもしっかり継承されていて、ワーゲンやポルシェ、
ランボルギーニなんてのは、一度基本設計を固めたら
30年は使い続けるということをします。

それができるのは原理原則基本に忠実であるからこそで、
とりもなおさずそれは「自社開発能力」の裏返しでもあります。
しかし日本はそうではありません。

つまり基本設計をまた一から作っちゃうわけですよ。
それには時間も掛かるし、ものすごい費用がかかります。

状況を想像すれば、理系でない方も容易に分かることでしょう。

日本人は「トータル計算が苦手」なので、こういったモノの
買い方、使い方をするのはこれまでごく限られた技術者くらいでした。

しかしこの不景気と震災で、日本人の考え方は大きく変わり、
欧米型のものになってきています。


追従できていないのは技術者という状況にあると私は思っています。


中国もまた欧米型のモノ作りをしますから、国際規格に敏感で、
ULの安全規格で「固い」製品を作る。

結果、海外向けの盤製品市場は中国にどんどんとられている
ということになってしまっています。
(これに気付いていない方が多すぎる)

コストは変わらないどころか今やちゃんとしたUL仕様の製品は
実は中国製のもののほうが高いのですが、
それでも世界のお客さんが日本製の製品ではなく中国製の製品を
選ぶというのはどういうことか。

国際規格でなければ、安いからといって買ってはくれないのです。

コストを追うばかりに「安かろう悪かろう」になっているのは
実は日本製品。

世界のお客さんは馬鹿じゃない。

頭を冷やしてよく考えないともう、
生き残ることのできない時代になっています。

こんな事を書いている瞬間も社会の歯車は回っております。

世界規格に敏感に順応できる若き技術者達を育てることが
重要ではないでしょうか。

人ごとではなく、私もそうならなければならないのですが・・・