もうかれこれ十数年前の話
自転車で帰宅していると時に
反対車線を走ってくるバスの
ヘッドライトが小さな影を映し出した
その直後、バスが何か小さなものを
はねた。
一瞬息を呑み、自転車をとめる
10メートルほど先でその何かが
まるで踊っているかのように
夜の街灯の下でクネクネと暴れていた。
ゴミ袋か何かであってくれと願いながら
目を凝らすと、それは小さな仔猫だった。
狂ったように身をくねらせ
苦しそうに暴れている。
頭が真っ白になりながらも
助けなくてはと駆け寄ると
母猫が突然現れて
仔猫を咥えて住宅地の奥へと消えていった。
僕は呆然と立ち尽くした。
苦い気持ちが残った。
今でも思い出すとその時の感情に
ため息が漏れてしまう。
でも、大きなことも学んだ。
子どもを持つ持たないに関係無しに
女性性が持つ究極の本能。
後続車に轢かれそうになりながら
自分の事より、わが子を守るために
動く姿には1ミリの思考どころか
そこには愛しか無い
そんな姿に僕はひれ伏すような
気持ちにさせられたのでした。
あの仔猫は無傷である確率は
低いと思う。
それでも母の愛は奇跡を起こせたのか。
そんな事を考え胸がぎゅっと
しめつけられてしまう。
僕が本気の女性は強いと
たまに呟く大きな理由の一つは
このことも起因しているのだろう。
こんなことをなぜ書いているのか
分からないけれど
書かずにはいられない時がある。
男性性に備わる父性も尊敬に値する。
今は男性が女性を守るなんて言うと
結構です、と一蹴される時代に
なったけれど唯一無二の女性性を
守りきる役割りが男性性の美しさだ。
形や表現方法などではなく
本能がそうさせる。
本能だ、感覚だ
と書くことが多いこのブログだが
この言葉を使う時には
構造やシステムに近い意味で使う
こともしばしば。
本能や感覚も肉体や精神と離れては
いないことを伝えようとしている。
体に重きを置くのも
心に重きを置くのも
その人なりの大切で良い
ただ、護身術を通して見た場合
心と体が本来の構造通りに働けば
タフに生きれるし
ラクにも過ごせる
本能や直感の動きは脳の判断では
勝ち目の無い速さで肉体を動かす
事が可能なんてことは
学術的にも証明されてもいる。
自分が伝えたいメッセージは
スピでも都市伝説でも
なんなら哲学でもない
単なる、でも真実の構造の話。
いわゆる中庸、
身体なら真ん中で立つこと
心なら真ん中に立つこと
この位置を見つけるための話。
先の母猫からの学びは
ここにたどり着く学びとして
今でも活きている。
そんな大切なお話。