◯◯より強い
といった考え方は
よくよく考えてみたら
奇妙だ。
それが、何らかの
強度を指し示すただの数値としての
ものならばまだしも
人に当てはめると
非常に
面倒だ。
個体と液体では
個体の方が強度はあり
液体は浸透性がある
何が言いたいのかというと
それぞれの特性は
環境下において全く違うので
強い弱いの捉え方は固定されない
はずなのに、なぜか人間だけが
自分や他人を枠の中に押し込む。
あれは不思議。
◯◯より金持ち
◯◯より強い
◯◯より🔲🔲って。
さらには
私は
◯◯より劣っている
みたいに、本人が劣等感にばかり
わざわざ光を当てるという
謎の行為に逆走したりもする。
そして、こう言う
自分には何も無いのだ!
いや、あるだろ。
何も無いのだぁぁ🥲と
言った👄があるよ😃
昔、ある人がこう言った。
体格の不利を嘆く暇があれば
頭を使え!
と。
その通りだと思った。
時が流れ
今度は
頭で考えてもうまくいかないと
悩みだした時
違う人がこう教えてくれた。
正しく頭を使うには
先に心を動かすこと。
目が覚めるようだった。
さらに時が流れると
心と頭の区別がつかない時が
あることに気づいた。
さて、どうしたものか。
答えが見つからないまま
時間はどんどん流れた。
ある日
みんなとの練習がなぜ
こんなに楽しいのかを
振り返っていたら
そこに大した理由はみつからず
心が望む事をしているから
ただ、それだけ
ということに気づいた。
心の声を聴くには感覚を研ぎ澄ませば
いいのだと思った。
じゃあじゃあ
◯◯より🔲🔲 の
◯◯よりの部分を取り除いたらどうだ?
ただただ強くなりたい💪とか、
もっと可愛くなりたい🥰とか。
これだってなかなか悪く無い
とか思うのはどうだろうか?
軽くていい。
よし、ならば
自分の中だけの
一番マシ
なものを見つけて
それに光を当ててみたら
どうなるのだろう?
少ししたら、弱点も補強しちゃっときゃ
前より多少はマシ
になるのかな。
そして、さらに時は流れ
このマシなものを見つける為に
もうデタラメでも
何でもいいから感覚を使い続け
気づいたら
こんな大人になっていました。
🤪
でも、なんだか毎日が
楽しい気がしています。