子ども達と関わる人生になって
37年目となりました。
関わり方に関しては
護身術だ
家庭教師だ
塾的なものだ
と器の違いもあれば、
彼らの調子を気にしながら
丁度いい距離感を意識する
元気を渡す
相談にのったり勇気づけだりする
そんな距離感の違いもありますが
ゼーーーーんぶ
質は同じ。
とにかく、目の前にいる子達に
今、やれることをやる。
言えることを言う。
みれることをみる。
見て、観て、視て、
時には診る。
あの、あれっすよ、
自分の経験値と能力において
ですから、そんな大したことは
できないとは思いますが
その時その時の自分の中の全力で
向き合えるよう務めるって意味です。
文字にすると
なんか、凄そうに見えるから
焦りますね💦
そんな風に沢山の子達から話を
聞かせてもらったり
様子をうかがっていると
本当に好きなものや
大切にしていることへ向き合った時の
彼らの集中力ってのはすごいですよね。
👏👏👏👏👏👏👏
あのエネルギーの濃さは
見習いたいものです。
僕は組手をしている時が
何よりのご馳走です。
あれは究極のコミュニケーションだと
思っていますし
自分の体や心も騙せませんし
できることしかできませんから
自分の中の偽りや思い込みが
露わになる瞬間なだけに
まるで、神様の前で腹の中を
見せてるみたいな感じになりますしね。
とまあ、大人だって好きに対しては
子どもに引けを取らないことも
あるのです💪💪💪
でも、大人だからこそ気をつけないと
ならないこともありますよね。
好きが勝りすぎて恥ずかしかった話を
書きます。
前にも書いたことがありますが
三十代後半の頃に行った
高尾山での水行体験、
この時の失態を
【悦に浸り過ぎ事件】とでも
呼んでおきましょか。
自分はプチ修行みたいなのが大好き。
毎日、これをやる!とか
百日やる!とか。
なので、滝に打たるなんてのはもう
憧れ🤩💫だったので
明らかに他の参加者とはテンションが
別物😂
武道家🟰滝行
みたいなイメージありません?笑
習った不動明王の印を手で結び
お坊様が
『南無大聖不動明王!』と唱えた後に
続いて同じ事を言う、これを数回
繰返す
それが修行の流れなんですが
もうね、滝の水が頭から
ドォーって当たった瞬間に
なーーーーんにも
本当に
なーーーーんにも聞こえなくなって
水の音とお坊様の声も
まーーーったく聞こえない。
気持ち良すぎて
脳内トリップ状態🧠😇
しばらくして、遠くで何か
聞こえてきて
ん?
誰か何か言ってるぞ。
∴∠∞∮★〻!
南無…..,,,,,,,
南無大聖不動明王!
南無大聖不動明王!
南無大聖不動明王!
なーむ
だいしょー!
ふどー
みょーおー!!!
💢💢🧑🦲💢💢
いかーーん!💦
悦に入り過ぎてもーたー💦
後で聞いたら
しばらーく
お坊様の南無大聖なんちゃらを
ガン無視
してたらしいっすよ。
慌てるお坊様とは対照的に
おだやーかな顔してたんだろうな。。。
超
恥ずかしい🫣
勝り過ぎちゃうってのも
なかなか危険っす⚠️
大人は中庸を目指したいっすね笑