もしも神様がいるとすれば
それは外にいるのでは無く
一人一人の中にいる。
だから、外に求める存在でも無い。

昔、武道の師がそう言っていましたが
要は他力本願などするなということで
それは武道の本質でもあるということ
でした。

例えば、誰かに襲われて
神様助けてと叫んだところで
助けてくれないだろ?と。
便利屋じゃあるまいし。

何かあれば警察を呼べば良いと考える
人も同様、警察が来るまで
の時間黙って殴られているのか?
最悪の事態になりかね無いのに
とも言っていました。



組手から僕らが無意識のうちに
学んでいるものは
“自力で何とかする” であり
その訓練であると捉えることもできます。

だからこそ
組手の勝ち敗けはオプションくらい
のことで自分がその時やれる
精一杯のことができたのか、
あの瞬間、心がなげやりになって
なかったか、
などのその時の感情を認識すれば
良いわけで、次の組手で修正や確認を
すれば、過去の自分より1ミリでも
成長したことになるのだと思うのです。

組手は自分自身と対面する時間と
捉えれば貴重な時間にもなります。

神様の話と無関係に聞こえるかも
知れませんが、この感覚は
神仏に手を合わせ祈る際の感覚に
近いような気がします。
自分のあり様を見つめていた
結果、目の前の相手も理解できる
ようになっている。

自分を救うのは
あくまでも自分自身の意思。

似ていませんか?