小学生になる前から月を見ている。
正確には見ている時もあれば
眺めながらあれこれいろんな事を
ぼんやり考えている事も多い。
花見より月見に惹かれるのは
自分の人生を月の中に
しまって来たからなんだと思う。
嬉しい時も悲しい時も月を見上げる。
人が亡くなった時も月を見ながら
故人を想う。
ロマンティストぶっている訳じゃなく
自分が園児の頃に両親が隣の区で
園芸店を始め、帰宅がいつも
夕方から一番星が輝きだす時間帯
だったので、迎えに来た時には
いつも月が光り輝いていたから
その時の安堵感みたいなものが
どこかにあるからなのかもしれないと
勝手に分析したりする。
帰り道
夜に咲く可愛らしい黄色い花の名を
尋ねると母親は月見草だと教えて
くれた。
今でもその時の月見草の咲き乱れる
空き地の景色をはっきり覚えている。
夜しか咲かない花が不思議だった。
小学生になると一つ下の弟と
母親の帰宅が遅い時には
外に出て月を見上げながら
待っていた。
十代の思春期も月を見上げていたし
二十代は予測出来ない未来に不安を
抱きながら
そこから先は月の美しさにため息を
つく事も増え
今に至る。
だいぶ省略したけど笑
死んだら月で暮らしたい。
とか考える。
死後の世界があるか無いかの確認作業は
いずれ分かるので
あると仮定するなら
閻魔大王に懇願して
月にいさせてもらう。
地獄に落ちちゃったら
月でウサギのフン掃除をせねばならぬ
フン地獄というのを新しく提案して
月でウサギの世話して過ごす。
で、夜になったら
みんなをボンヤリ眺めながら
コーヒーを飲む。
そして、泣いたり笑ったりしたい
とか、妄想する。
こういう事を書くとみんなが厨二病とか
言いそうだが、それは違うぞ。
この歳になるともはやボケに属するのさ。
まぁ何でもいいけど
月はとても美しい。
太陽の光の反射だろうが
ちゃんとそこで輝いている。
むしろ、その事自体が美しい。
