昼間から探索してまいりました。
もはや病んるシリーズとして
ネタ化し始めた
神社跡地⛩探索の調査報告3で
あります!
今回は図書館に向かい
図書館員の方々に協力して頂き
幾つかの資料を見て来ました。
残念ながら、探索中の浅間神社に関する
ものはありませんでしたが
昭和初期の葛飾区の風土や歴史に
触れる事ができました。
この辺り一帯は農地で一つの地域を
江戸時代より三つのムラに分けていた
そうです。ここで書かれているムラとは
集落を指すのだと思います。
その流れは昭和にも受け継がれており
そのムラの区切り方は
どの神社⛩を祀っているかと
いうものでした。
面白い文献ですね。
神社A⛩ 神社B⛩ 神社C⛩
を管理して祀る集落で分けられて
いたので三つだったようです。
で、神社A⛩が一番大きな神社だった
のでA B C⛩⛩⛩合同の祭りを
Aで開催して地域の交流としている
という日本文化の根底に触れるかの
ような話が出てきました。
で、僕の調査している浅間神社は
神社A⛩のエリア内にあった訳です。
神社を二つ⛩⛩抱えるA集落でしたが
後にムラを一つ加え、新たにD集落を
作りました。この D集落が浅間神社の
管理をしていた、というところまで
情報を収集できました。
神社A⛩の昭和初期の写真は
あるのですが、浅間神社の写真は
どの資料にも出てこない事を考えると
僕が想像するものよりもっと小規模
なサイズの神社だった可能性が
ありますね。
赤丸の位置に浅間神社があった場所
昭和初期の写真 森?林?の中に神社があるはず
拡大して
でも何となく、木が無さそうな
ポイントが数カ所ありますね🤔
更にネットで見つけた情報によれば
浅間神社内に稲荷神社もあった
らしいです。
3回の調査から
富士塚があった
稲荷神社もあった
大きな神社でも無いようだ
の三点は濃厚。
これらの情報と今日分かった
当時の集落の状況から
富士塚の(小山)上に小さなお社が
あった可能性も出てくるな。
これは公園入口に出ている
看板の写真ですが
昭和の写真だと思われます。
背景の空に何も写っていないので
やはり小高い場所の写真だと思いますね。
狸が生息しているはずなんですが
どうしてるんでしょうか?











