明日なんかいらない
本気でそう思って生きていた時代が
ありました。
そのくらいの覚悟で
生きていたわけです。
人生を捧げるではなく
人生を生贄にする感覚でした。
今ではみんなと練習ができて
それだけで贅沢な時間で
自分の中で思い描いていた理想は
もう実は手に入っているので
今でも明日に何も期待していない
のは変わりありませんが
でも、それは明日を生贄していた頃
とは質が違っているので
子ども達と関わって生きている人生に
感謝しています。
なものですから、大事なお子さんを
こちらに預けて頂けて
保護者の皆さんにも感謝。
当然、僕と同じ道着に袖を
通してくれたみんなには
頭があがりません。
話をもどすと
明日というものは本来無いと
いう事を誰も教えてくれません
でした。
親も学校の先生も友達もです。
僕にその事を教えてくれたのは
武道でした。
そしてもう一人それを
気づかせてくれたのは
僕の人生の方向を決定づけた
何人かの方々の中の一人でした。
彼は歳上で恩人でもありました。
その彼が大病を患ってしまい
余命の宣告を受けたと知り
お見舞いに行ったのです。
病室を出る時に
また、お会いしましょうと
声をかけると
またな
と返事をしてくれました。
その数日後
余生を過ごすつもりだった
のでしょうか
地元の病院に転院し
数週間後に亡くなられました。
その人はブログを書いていたので
闘病の様子はそこで
何となく分かっていたのですが
ある日、
愛するなら、自分をまず愛しなさい
それが本当に愛する人を守る事だと
いう内容のことが書かれていて
ああ、死期を悟ったかと涙が出たのを
憶えていますが、
その後すぐに彼の明日は消え
また会う約束は叶わなかったわけです。
その時、思ったのは
淡い期待など要らない
今、全力で目の前の人と関われば
ヘタな後悔なんかしない、
その先は明日が来れば
また全力で向き合う、
それだけで良かった、、、でした。
だから、明日なんかいらないという
のとは、また意味が違うの
かも知れませんが
あると思い込んでいるのって
僕らだけで動物なんかは
明日なんかに何も期待していない
んじゃないのかと思ったりしましたね。
今は明日があったらラッキー✨
くらいで生きていますけど。
体と心と感覚と感性をフル活用して
いろんな感動をして生きたい
もんです。
