ある伝統派空手の先生のことを思い出している。
最近気を入れて書こうとしている
体験シリーズの第一弾は
その方が主席師範を務める
伝統派空手の道場に呼んでもらった際の
空手体験にするつもりだからだ。
そんな折
K音&S音パパさんとの会話で
伝統派空手を幼い頃に学んだと知り
輪をかけて、その先生はどうしているのか
という想いに拍車がかかった。
最後に電話をしてから四年程経っている。


千葉にある本部道場で伝統派空手の
組手の体験を一度させてもらったことがあり
その前後に数回、空手の話や
修行時代の話を聞かせてもらったが
随分と親切にしてもらったのだった。

ちなみに、この先生はかなり名のある方で
面倒な事が嫌い、つまりは空手の稽古以外
興味が無いという理由で、全国レベルの
役職を辞退し続けている根っからの空手家。
だからこそ、この先生と組手をすることは
空手を知る絶好の機会だった。

黒帯を締めて来なさいと言われたけれど
そんな無礼はしない。
空手は素人同然だし、敬意を示すために
白帯を持参することにした。

黒帯は自分の団体を背負う時や
誇りを持って戦う時に締めればいい。
教えを乞うのに黒帯を占めるほど
滑稽な姿はない。

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白帯を締めた僕は道場生の皆さんと
同じ練習をこなしたのだけれど
型と息吹だけはずぶの素人なので大苦戦。
少年部の子供達を捕まえて
教えてもらうようなポンコツぶり。
我ながらその状況に苦笑する有様だった。

いよいよ
組手の稽古に入る。

まずは道場生の皆さんと軽めの組手をした。
ライトスパーリングともいう。

ここでの苦戦は当てない事だった。
当てることを第一にやってきたので
当てずにそれでいて本来なら当たると
いう位置が今ひとつ掴めない。

なぜなら、フェイントを入れて打った
上段突きに相手が引っかかり
取られましたー^_^と言ってくれるからだ。
あれは本当に技有りになっているのか
手応えが無いので、自分で打ちながら
自分を疑ってしまうのだった。

そして、相手の飛び込みがイマイチ
予想より浅く、そのせいでこちらが
対応できてしまうのは手加減されて
いるからなのか、こちらが無意識に空手の
動きを出しづらくさせているのか
先生以外は他流との組手経験は無い
可能生も高い。そのため困惑して
いるのか。
逆に指導員の青年との組手では、相手の
踏み込みに合わせて出した前足での
前蹴りが相手の鳩尾に入ってしまい
平謝りだ。
女性の指導員さんに技をもらったり
困惑しているのは自分の方だった。


そんなバタバタした時間が過ぎて、
多少空手の動きがわかってきた頃に先生から

やろうよ

と声をかけてもらう。


組手の様子を書く前に、先生に聞いた話で
印象深かったものを書いておいた方がが
いいような気がしてきたので
挟んでおくとしよう。

先生は当時空手歴が50年。
修行時代の空手は今とは違い稽古では
顔面を含め、当てるのが通常で
鼻血や骨折は日常的にあり
腕自慢が集まっていた古き良き?
武道時代を生きてきた人だ。
他流試合もよくあって、どちらの流派
どちらの武道が強いのかを争い、
道場破りは返討ちにする、そんな
劇画のような世界で育った世代の人だ。
だから、防具や寸止めに対しての
違和感を強く持っていた。

よく、伝統派空手は寸止めだから
実戦的では無いと言われがちだが
そういう時代を生きてきた人たちには
屈辱的を通り越してトラウマレベルの
ものなのだろう。
その寸止めルールによるスポーツ化が
世界的に空手をメジャーにし
ついにはオリンピック種目とまでなった。


時代の流れで仕方がないこともあるけれど
本当の空手は一撃で倒せる
寸止めも、当てるも、自由に操れる
それが空手だよ

その言葉を聞いて正直少しだけ
血が騒いだ。
ライオンやトラに触れさせて
あげるよ、と言われて
危ないからいいや というタイプと
まじっすか!?となるタイプが 
いるとして、僕は後者だっただけ
なのかもしれないなけれど。
純粋な興味に勝さるものは無い。
見てみたいし、自分がどう触れるのかも
知りたい。 




ルールは寸止め。どちらかの二本先取で
終了。   願わくば少しでも長く空手を
感じてみたいものだ。秒殺じゃ、あまりに
もったいないではないか。

とか言って本当はおごった考えではなく
簡単にやられるとも思っていない。
自分が身につけた武道の技と戦術には
客観的に見てそれだけのものがある。

いかにそれらを空手のルールに
合わせられるかにかかっている。

うまくいけば、本気の空手の雰囲気くらいは
出してくれるかも知れないからだ。


呼ばれて
僕は小走りしながら
先生の前に出た。


先生の雰囲気が今までと変わっている。
僅かだけれど指導者としてよりも
武道家としての雰囲気が勝り始めている。

始まれば尊敬の念を持って対等にやる。
僕なりの最高の敬意の示し方だ。

一礼をした。


始まった。