つづき
古猫🐈は次のように言いました。
『1000万人の敵に囲まれて、八つ裂きにされようと、この心は私のものです。どんなに強い相手も私の心まで切り裂くことはできないのです。孔子は【相手が一人の男であったとしても、その志は奪うことはできない】と言っています。しかし、もし自分が迷う場合には、その心がかえって敵の助けとなります。
私が言うことはここまでです。。。
この先はご自分を今一度振り返り
自分自身に答えを求めてください。。。
🐈
それと。。。
教えと言っても師はその技を伝え
その道理を説くだけですから
それを自分のものにするのは
自分自身なのです。これを自得といいます。以心伝心ともいいます。
または教外別伝ともいうでしょう。
それは教えに背くということではなく、師も教えることができないことを言っているのです。それは宗教でも武道でもスポーツでも学問でも心理学でも教育でも、自得することは以心伝心であり教外別伝なのです。
教えというのは、もともと習う者の中にありながら、習う者が自分自身で見ることができない所を知ることなのです。師がそれを授けるということではありません。ですから、教えることも教えを聞くことも簡単です。ただ、自分の中にあるものをはっきりと見つけ、気づき、自分のものにすることが非常に難しいのです。これを見性といいます。悟りとは、妄想の夢から覚めた状態のことなのです。覚りとも呼べます。
これらは同じようなことですよ。
🐈』
そういうと古猫は剣術家と猫たちに
一礼をして、何事も無かったように
去っていきましたとさ。
さて
ひょんなことから野良猫からそんな話を聞かせてもらった僕は、これは貴重な話を聞いたと喜び勇んで家路についたものの、一晩経つと話の内容を全て忘れてしまい、ため息をつきながら、昨夜のベンチに腰を下ろすと一冊の本が置いてあることに気づいた。
おお
これは。。
興味のある方はぜひ。
