三匹の猫たちからの問いに
一通り答えた古猫🐈は
続けて語りました。
🐈
『しかし、あなた方がそれぞれが修行してきたことは全て無駄だったなどと言っているわけではありません。道理と気は一貫したものですから、動きの中には極めて最もな道理が含まれているのです。気は身体のためにその役割を果たすものです。その気がのびのびしている場合は限りなく物事に応じますし、気が和やか場合には力による闘いは無くなりますので、たとえ、金属や岩石のように固いものに当たっても折れるようなことはありません。しかしながら、たとえ僅かでも頭の思考が働く場合、それらは全て作意です。道にかなった本来の姿でありません。そのために相手は心を許さず敵意や疑う心を捨てられないのです。ですから、私はどんな術も使いません。無心に、そして自然に相手に応じるだけです。
そうは言っても、道、つまりは修行に終わりはありません。これが最も良いということは無いのです。私の言うことが究極だとは思わないで下さい。
昔
隣村にある猫が住んでいました。その猫は一日中眠っていて元気がなく、木で作った猫のようでした。人びとはその猫がネズミを捕ったところを見たことがありませんでした。しかし、その猫がいる辺りにはなぜかネズミは一匹もいませんでした。猫が居場所を替えてもそれは同じでした。私はその猫のところに行って、そのわけを聞いてみました。ところが、その猫は答えてくれません。四回たずねましたが、四回とも答えてはくれませんでした。 その猫は答えなかったのではなく、驚くことにどう答えたらよいのかわからなかったのです。このことによって、わたしは、知る者は言わず、言う者は知らないということを初めて知りました。その猫は自分を忘れ、物を忘れて、何のこだわりもなくなっていたのです。武徳の極限に達して、殺すようなことはしないということです。私も皆さんと同じで、まだ、彼には遠く及ばないのです。』
続く
🐈