怪我が自分の立つ場所の意味の深さを教えてくれました。

よく行くお煎餅屋さんが『こどもたちにとって先生は無敵な立場で

怪我で窮地に追い込まれるなんて想像が出来ないようですよ(笑)』

と言ってくれました。それは、何気なく耳にした小さいお弟子さんの

言葉を僕に伝えてくれたのでした。

それは強くあれという事ではなく、自分の立ち位置を明確にしてくれた

言葉でした。 ありがたいことですよねぇ。

しっかり治そう!そう思いました!


思えば、いろんな方々がいろんな形で僕に大切な事を教えてくれました。

今でもそうです。


いつも共通しているのが、自分を生きるためのヒントなのでしょうか。

それを僕が求めているからなのかもしれませんね。


護身術というとナイフをよけたり、より実践的な技を学ぶという

イメージが強いと思いますが、僕が目指す護身術は生きるための

根本的なものです。


対凶器や体術は極論をすれば、枝葉に過ぎないと感じています。

もちろん、その技を身につける必要はあるんですけれどね。

ただ、僕がいつも見ているのは自分の心を殺して生きていたら

それは護身であるのかということなんです。

生きていれば、自分を制御することも必要でしょうし

我慢も大事です。でも、それは学びの範囲でです。

自分の心を殺してはなりません。


せっかく頂いた命です。

大事に生きたって罰は当たらないでしょう(笑)


戦国の世では武士道は侍の精神であり、お家、一族を

守るための模範のようなものでもあったでしょうし

命をかけた戦いにおける究極の心得だったりしたのでしょうね。

突き詰めて考えると、相手を組伏す技と執着からの解放が

武道なのかもしれません。

いずれにしても、守るためのものです。

ゆえに武道=護身術が僕の考えなんですよね。

保守的なイメージも強いでしょうが、それは世間の

護身術のイメージでしかありません。

つまり器を何と呼ぶかだけの違いでしょう。


現世では国取りをする訳ではありません。

だから、武道はスポーツ的なものに形を変えて

その精神を伝えています。

それでも僕は良いと思います。

ただ、個人的には大切なものは競技性ではなく

生きることと直結してるというかダイレクトに

ベクトルがが向いているというか。。。


つまりは生きる力。

それを感じた子らが、自分の人生において

生き方で誰かを触発する。


そして、誰もが誰かを守れる事を知る。

それが武道の素敵なところではないでしょうか。

時には命がけで守るかもしれません。

時には見守る勇気をみせるかもしれません。


自分や誰かを守るためにそのすべてを懸けるかも知れません。


すべての根源は同じ。


それが武道であり護身術だと僕は感じるのです。


その表現は武道で無くても良いのかもしれません。

他のものでも良いのだとも思います。


ただ、単純に僕の場合は武道がしっくりくる

そんな感じです☆


みんなが笑ってる。

それが究極の望みです!
$護真舎    Self Defence Academy ~生きる力~