虫。


壁をのぼる虫が落ちてはまた無心で何度ものぼりはじめる。


禅の世界をこのような表現をした宗教学者の新聞記事の

切り抜きを僕にくださった方がいた。


会ったこともない僕に、そんな記事で何かを伝えようとして

くださったのだとその時は解釈した。



あれからもうだいぶ経った。

僕は何だか成長したような気になっていて

見えなかったものが見えるようになった気がして

いや、実際に感じ方も変わってきたのだけれど

大切なものを見失っていたというお話です。


心というものは、よくよく吟味しないと

頭がそれと似せた良くできたご都合主義なレプリカを作り出すので

要注意だと、たくさんの方々に教わっていたはずなのに

気づくと、自分の思考が作り出した幻影にまんまとご満悦。

で、どうなるかというとご想像にお任せいたしますよ。


前にも書いたことがありますが、あるお坊さんがこう仰ってました。


一番怖いもの、それは自分の心です。


お坊さん曰く、心は(思考のことを言ってる)自分に都合のいいように

解釈するから、真実を見失う。 だそうです。



『大切なもの』人によって様々でしょうけど、僕は

大切にしたいこと、大切にしたいもの、大切にしたい人

それを当たり前のように大切にすることなのだと再認識。


一つをみると、別の一つが見えなくなるようでは

真実なんか見れっこない。


また、やりなおしだ。

たかだか虫のような自分。

だから、また登る。


すまん、みんな。

まだ届かんよ。


どんな思いであの記事を僕に下さったのか

その真意は以前にも増して深い場所へと

行ってしまったが、何だかその端に触れたような気もした。


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