その女子大生は、私が出した「女性向け護身術マニュアル」「男性向け護身術マニュアル」の両方を購入していました。

そのマニュアルの特典に付いているメールサポートで彼女はメールしてきたのです。


その内容は・・・

「東京に来て直接教えてほしい」



・・・これには驚きました。


そして・・・

実は、一度断りました・・・




この時、自分の技術が全国で通用するとは思っていなかったからです。

情けない話ですが、これがその時の正直な気持ちです。



しかし彼女は真剣でした。

「先生から直接教わりたい。セミナーをしてもらえればスタッフとして手伝います」


彼女の強い思いを動かされました。


そして・・・

「分かりました。では9月頃にセミナーをやりましょう」と返事をしました。

それは2010年7月のことでした。




忘れもしない

2010年9月26日

その日は晴れ


ヒーロ黒木が作った護身術(当時SDS)が初めて九州大分県から外に飛び出した日

場所は東京池袋




今だから包み隠さずお話します。

東京に向かうため大分空港に到着した私は、

緊張で震えていました。



「もし自分の技がまったく通用しなかったら?」



空手を捨て大東流合気柔術を始めて10年近く。

死に物狂いで稽古してきました。


しかし自分の道場以外で実力を試したことはありませんでした。
※2度埼玉県まで行って別派の大東流セミナーに参加したことはあります。多くの武道家の中で自分の身体能力だけはズバ抜けていたのを覚えていますが・・・


そして飛行機に搭乗・・・

もうこれで逃げられません。



「もしダメだったら仕方ない。その時はまた一からやり直そう」


その時、肚は座り、震えもいつの間にか止まっていました。

覚悟を決めたのです。



そして飛行機は東京に向け高く高く上昇していきました。


剣護身術 誕生秘話 その3



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