不登校中の次男がこんな事を言ってきた。


別に学校がすごく嫌ってわけじゃないんだよね。

でも初めてのテストの時、2日目に熱が出て休んだじゃん?

その時気づいちゃったんだ。

休んでゲームしてる方が楽しいって。

学校がマイナスって訳じゃない。

行けば学校も楽しいって思ったりする。

ただ、学校の楽しさが3だとすると

ゲームは10なんだよな〜

マイナスと10じゃなくて、3と10ね。

(↑ここ、大事らしい…)

これを天秤にかけて10を選んでるって感じ。


・・・・・・・・・・・・・


ほうほう、そうか…と聞きながら

私の脳内にはこんな言葉が浮かんでいた。


学校もそれなりに楽しいなら

とりあえず学校行って

帰ってからゲームしたらいいんじゃない?

そうすれば両方できるじゃん。

学校行ったからって

ゲームする時間がなくなるわけじゃないよ。


うん、↑コレ、いわゆる『正論』だ。

たぶんこういうの、

今の次男に一番必要ないヤツだね。


(言わなくてよかった〜)


そして正論に支配されると不安も大きくなる。


学校もマイナスじゃないのに

ゲームの方が楽しいから学校行かないって…

これってまさかゲーム依存⁉️

ゲームやりたすぎて

日常生活が破綻してる⁉️

これってマズイんじゃない⁉️


こんな風に妄想が膨らむ。

そしてなんとかしなきゃっていうコントロール欲がムクムクと湧いてくる。


でも…

大切なのはたぶんそこじゃないんだよなぁ。


次男の言った言葉の内容じゃなく、

次男が自分の気持ちを私に話してくれたという事実。


その言葉が本心かどうかはわからないけど、

もしかしたらまだ言葉にならない何かを抱えているのかもしれないけど、


とりあえず感じていた気持ちを話してくれた事は素直に嬉しいと思う。


その内容だけに着目して

いろいろ妄想を膨らませるんじゃなく、


そう感じてるという事実を

ちゃんと受け止めたいと思った。


肯定も否定もせず

あー、そう感じてるんだねって。


決めるのは次男だ。


たださぁ、

学校とのやり取りをしてると

ついつい次男をせかしてしまったりするんだよ。


やっぱり境界線かぁ。


やっぱり境界線だなぁ。