9月12日(日)、東京電力のグラウンド(ラグビーの思い出48参照)から、秩父宮ラグビー場へ移動して対抗戦を観戦しました
早稲田大学 64 - 8 立教大学
この年、早稲田の最初の公式戦
立教の粘りのディフェンス、早稲田のミスの多さで、スタンドで観ていた私の周りの早稲田ファンの方々はフラストレーションがたまっていたようですが、私は早稲田の勝利を生で観られただけで満足でした
この年、早稲田の最初の公式戦ファーストトライは、⑭中靍隆彰選手(2年)でした
⑧有田隆平主将(4年)がハットトリックステップでかわしたトライ、力でねじ伏せたトライ、すごかったです
早稲田のペナルティーが多くピンチを招いても、ラインアウトで⑤中田英里選手が3回も相手ボールを奪ってくれたので、立教のトライにつながりませんでした
9月19日(土)
関東大学ジュニア選手権初戦
Bチームの公式戦です。試合会場は早大・上井草グラウンド。
早稲田大学 40 - 35 関東学院大学
前半7-14で折り返し、後半21分には12-35と22点リードされて、負けを覚悟していました。
そこから交代で入った(18)土屋鷹一郎選手(3年)の突破と、(20)西橋勇人選手(2年)の素早い捌きでリズムがガラッと変わって、スタメンで前半から抜群の存在感だった⑫宮澤正利選手(4年)も運動量が落ちずに、後半24分④井村達朗選手(4年)、36分⑫宮澤選手、38⑥牛房佑輔選手(4年)、ロスタイムに(22)原田季郎選手(2年)と怒涛の4連続トライで逆転勝利
9月23日(金)、この日の新潟日報に『早稲田ゆかりの新潟県人~日本をつくった7人~』という、新潟県出身で早稲田大学を卒業、これまで日本の社会に貢献してきた方々の特集がありました。
明治から大正にかけて、新潟県の早稲田大学入学者は東京について多かったそうですびっくりしました
私は早稲田大学出身ではありませんが、早稲田ラグビーがこんなに好きなのは県民性なのかな、と思いました
会津八一(1881~1956)
新潟市出身 歌人・書家・美術史家
小川未明(1682~1961)
上越市出身 児童文学家・小説家
鷲尾雨工(1892~1951)
新潟市出身 作家
吉田東伍(1864~19189
阿賀野市 歴史・地理学者
市島謙吉(1864~1944)
阿賀野市出身 著述家・政治家
相馬御風(1883~1950)
糸魚川市出身 文学者
前島密(1853~1919)
上越市出身 政治家
市島氏は、大隈重信氏とともに東京専門学校(現早稲田大学)の創設・経営に関わった方。
相馬氏は、早稲田大学校歌『都の西北』を作詞した方。
早稲田大学ラグビー部監督として有名な大西鐵之祐さんの奥様も新潟県出身です
早稲田ではありませんが、新潟県出身として大学ラグビー界で忘れてはいけないのが、元明治大学ラグビー部監督の北島忠治さんです
つづく