マジックが夢を見せるもの、って、最初に聞いたのはいつでしたっけ。

 私の記憶の中のマジックは、NHKの「世界のマジックショー」から始まりますが、これが「夢」の世界だと思ったことがありません。
 子供向けのおとぎの国がいろいろ出て来るTV番組の中で、あきらかに舞台芸能、なんだか暗い画面、超人ではなくマジシャンという「人」が演じている、ちょっとおどろおどろしいもの。


 小さい頃は、夢物語も科学もぜんぶ同じカテゴリーでした。
 高度に発達した科学技術は、魔法と区別がつかない(アーサー・C・クラーク)という言葉がありますが、まさにそんな感じです。
 芸能だけは、最初にそこから分かれて「人のやっているもの」になった気がします。

 マジシャンとはなんぞや、を考える例として、物語世界での役割分担を考えてみます。
 マンガや小説など、物語の中では「魔法使い」「金持ち」「科学者」は、どれも「夢を叶える便利な人」という、同じ類いの役回りです。

 マジシャンはそんな役じゃありません。
 怪盗とか、策士とか、火薬使いとか、そんな感じの役回りです。

 フツーに盗めばいいものを、ヘンに目立つ方法を好む、劇場型犯罪の人。
 フツーに戦ってもそれなりに強いのに、奇策を好む目立ちたがり。
 全身に仕掛けしてる危険な人。

 どう考えても、夢と魔法の国の住人じゃないでしょう。
 むしろ、魔法も超能力もない世界に居て、現実に可能な方法を組み合わせて、目を引くような事を起こす人、です。
 大きなくくりではファンタジーかもしれませんが、方向が明らかに違います。

 少なくとも、「現実的にできそうだ」と思わせないと、物語にわざわざマジシャンを登場させる意味がなく、ご都合主義的な「魔法使い」になってしまいます。


※この意味で、物語のマジシャンには「種明かし」が必要になります。それが魔法ではなく現実にできる、という事に説得力を持たせるために。

 物語の世界では、魔法とマジックは方法を説明されるまで区別がつきません。
「魔法使いと同じ役」のマジシャンはナンセンスです。同じ魔法のような事なら、現実的な方法でできる事を証明する方が「作家が思いつきで書いたのではなく、裏まできちんと考えてある」という驚きがあるのですから。

 現実のマジシャンには種明かしは必要ありません。起きたことがそのまま現実にできる事の証明になります。
 物語のイメージと違う事を感じた観客は勝手に「物語のマジシャン」から「実際のマジシャン」という、違う何かにイメージを塗り替えてくれるでしょう。
 それは、ちょっと不安な、しかし興味深い体験になるはずです。

 イメージに変化がおこる度合いは、人によって違います。
 近年のTVでマジックに接している人だと、あまりイメージが変わらない場合も、もちろんあります。

 逆に、物語のマジシャンのイメージから離れられず「タネあかしがセットになってると誤解している人」には、適切なフォローをする必要があると思います。
「今見た方が正しいんです」と主張するか、「マジシャンはタネをバラすと消されるんです」みたいな別の物語を提供するのか、そこは相手にもよるのでしょうけど。


 最初に、マジックを面白いと思ったのは、いつでしたか。
 それが物語に出て来る魔法より魅力的だった理由は、フィクションではなく現実に起こるという事に、別格の価値を感じたせいだ、と思うのです。
 読んでみて「?」と思ったポール・ギャリコの小説。
 一言で言うと、マジシャンに作家がケンカ売る話です。


 マジシャンの町というものがあり、住民はみんなマジシャン。
 そこに、魔法の国から本物の魔法使いが来たら。


 というストーリーなんですが……


 マジシャンの町に魔法使いが来る理由は「魔法を習いたかった」から。
 非常に不自然です。
 マジックの町なのに魔法は習えませんし、魔法使いならマジックを習う必要はありません。

 それは一般的に言って「道場破り」なのでは?
 実際、その通りの事が起きます。

 マジシャンの不当な扱い。登場するのがものすごく「腕の悪い」「性格の悪い」マジシャンたちです。
 作者はマジシャンに何か恨みでも?

 魔法使いが行うのは、「イマジネーションの通りに事が起きる」というもの。
 お金が大量に出るのがクライマックスシーン。

 ・・・なんだこれ?

 センスのある奇跡を考えるのは、実はかなり難しいのです。量を多く出せば奇跡のセンスが上がる訳ではありません。
 普通は思い付かないような事かどうか、が大切で、そこにこそイマジネーションの力が必要です。

 作者は「イマジネーションが大切」という事を主張していますが、これはすごく逆効果な気がします。
 むしろ、イマジネーションには限界がある、という事をはっきり示しているんじゃないでしょうか。
 普通に空想するだけでは、魅力的な魔法を描くのは難しい、という事でしょう。

(なので、魔法の物語は新たに奇跡を考えるだけでなく、魔法に制限や条件をつけて、それを乗り越えたり、うまい組み合わせで効果を上げたりしてドラマを作って見せる方法をとります。シンプルさを重んじるマジックの作品構成には使いづらいのですが、うまく取り入れると作品がドラマチックに発展するかもしれません)


 不当におとしめられたマジシャンと、作者の化身の魔法使いの対比は、結果的に、マジシャンより小説家になれ、という偏見に満ちた主張になっている気がします。


 作者の主張に習って、自分の職業に偏ったイマジネーションを使うなら。

「マジシャンになりたくてなれなかった人が、小説家になってこんな話を書いた」という説明が最後に一行あれば、より説得力のある寓話になるでしょうね。


 ……いえ、マジシャンは向き不向きがあるだけで、なるのが難しいものとも違うのでしょうし、小説家だってそう簡単になれるものではないと思いますけど。
 人はそれぞれ、なりたいものを目指せばいいので、この小説で行われた比較がとてもナンセンスだと思うのです。

 なんとなく、恣意的で偏っているのに、いい話扱いされてるのが気になるので、対極にある者として書いてみました。
「器用ですね」と言われることはよくあります。
 実際そうなんでしょう。
 ただ、マジシャンの器用さって、普通の器用さとはまたちょっと違うと思うのです。


 マジックの特徴として、複数の事を一度に行う、というのがあります。

 これは、芝居で言う「段取り」ともちょっと違うんですね。
 感情に沿わない不自然な動きであるだけではなく、意識してる事と、してない事と、してるんだかしてないんだかわからないような事を「同時に」「いくつも」行う、というのが重要なのです。

 無意識でいろいろな事が行える。
 これがマジシャンにとっての「器用さ」だと思うのです。
 無意識になるまで訓練する項目が多岐に渡ってある、という言い方もできるかもしれません。

 いくつか試してみたんですが、たとえば楽器のドラム。
 両手両足をバラバラに動かせるようになるまでが明らかに他の人より早く、薄く意識しながら違う事をやる、という職業的な訓練との関係をうかがわせるものがあります。


 舞台上で失敗すると、この無意識の能力が急に上がり、普段できないような動きで絶妙なフォローをすることがあります。無意識は開発の余地がかなりあるのかもしれません。

 逆の事例として。
 舞台の出番の直前に、考え事や感情的に強く揺さぶられる事があると、この無意識の所が「浸食」され、普段できている事ができなくなる事があります。
 特に距離感がおかしくなるので、テーブルにぶつかったり、物を取り損ねたり、激しい場合はケガすることもあります。

 無意識を多用するせいで、心のコンディションが普段の生活には使わないような所に影響するのも、マジシャンという仕事の特徴なのかもしれません。


 最近、不器用だな、と自分で思う事が多くなりました。
 必要な器用さを自覚したせいなのかもしれません。
 マジックとはなんぞや、という切り口はいろいろあるかと思いますが、「エンターティメント」として使われているのは間違いのない所です。

 ただ、それも・・・

 エンターティメントのための手法、ではなく、「自分をすごい人に見せる技」に、エンターティメントという目的が後から付いている気がします。

 それを言うと、トークにしてもダンスにしても、エンターティメントのほとんどがそうなのかもしれませんし、スポーツ番組も同じ「すごい人を見せる」目的で作られてはいるのでしょう。

 しかし、「基準がない」「秘密によってすごさの増える度合いが高い」という点が違うのです。

 マジックを見て、激しく驚いた観客が次に言う言葉に、「これ、どのくらいのレベルなんですか?」というものがあります。
 似たものとして「TVには出ないんですか」というのもあります。「TVにはどんな分野でもトップの人が出てくる」という思いから、今見たスゴいものがトップレベルなのかどうかを確認したいという意味ですね。

 野球なら成績が出ますし、絵描きなら号あたりいくらという評価システムもありますが、芸能はそういうものでもないようですし、ましてや見慣れないマジックの場合は評価のしようがありません。
 基準がないと今見たものを評価できず、不安になる訳です。


 すごさ、には「自信」が伴う必要があります。
 この「自信」がまたやっかいです。

 自信のある人を見ると期待がふくらむが、自信に結果が伴わない人は軽蔑する。
 自信のある人は頼もしいが、自信過剰な人は腹立たしい。

 非常に微妙です。

 天才、血筋、特殊な環境に育った、師から秘伝を教わった……
 自信には根拠が求められます。
 ブランドイメージと同じように、「ストーリーを提供する」と言うべきかもしれません。

 世間に理解されやすい理由がないと、すごい人でありつづける事はなかなか難しいものがあります。
 対外的にもそうですし、自分の心を保つという意味でも。

 スポーツや筆記試験の成績がいい人は、だいたい幼少から評価され続けているため疑う機会も少なく、エリート意識という「特に根拠の必要ない自信」を持っていることもよくあります。

 しかしマジシャンの自信の拠り所は、最初は「秘密」に、後に「経験」によるものだという気がします。
 それが「秘密」だけに支えられている場合、その自信は極めて脆いものなのではないか、と思うのです。


 秘密を知ってる人でも楽しめる。
 それは言うほど簡単ではありませんが、それが出来たのなら自分で認められる「ちょっとすごい人」になっているんだと思います。
 先の日曜日、首から背中にかけて凝りがすごいので、自分で揉みほぐしておりました。

 おりしも、その日はテンヨーフェスティバルで、素敵なショーを観覧・・・しに行ったのですが、ショーを見てる間に発熱、頭痛に悪寒に寒気に目眩、なんだか関節も痛い。

 うわ、ひょっとしたらこれは!
 どうする?インフル!?
 後に約束があったのをキャンセルしてもらい、そのまま電車でうんうんうなりながら帰宅して、体温計を取り出し・・・

 ・・・あら?
 平熱?
 熱があるのは首回りだけ。でも相当熱いです。

 知り合いが柔道整復師を紹介してくれまして、所見は「揉み返しですね」とのこと。あらら。
 頭部に近い場所がうっ血すると、悪心などの症状が出やすいんだとか。


 しかし普段、マッサージに行っても強いのはダメで、ましてや自分でそんなに強く揉むなんてことはまず起きないのですが、どうもあまりに凝り過ぎてて痛覚神経がマヒして、揉み過ぎに気付かなかったようです。
 ここの所バソコンに向かう時間が長いのが、かなり姿勢を悪くしてるみたい。
 首だけでなく、きっと体のあちこちが固まってますね。

 熱と痛みが引いた今日は、軽いストレッチと筋トレで、体のチェック&リハビリしてます。
 首回りだけは、ちょっといたわりつつ。