先日投稿したニギハヤヒについて、同じことを考えている方がいましたので紹介します。

 

最初にお詫びしておきますが、「今週の流れ」シリーズ以外は、何日もかけて加筆して書いているので、ときどき唐突な内容の段落が発生してると思われます。

内容が飛んでいるように感じられたら、そういうことなので、ご理解いただけますよう謹んでお願いいたしますm(__)m

 

 

こちら先日の記事。

 

 

 

アポロの月着陸のことを書いた頃は、次は宇宙人シリーズ始めようと思っていたのですが、原田代表の「ナガスネヒコ」の一言で、まさかの日本を含め地球の古代史の沼にハマってしまった。。。

 

 

 

こんなに調べる予定ではなかったのですが(汗)。

きっとナガスネヒコの怨念があたしにこのシリーズを書かせているのよ、、、と思ってます(^^;
このシリーズ、縄文までさかのぼって、そこから現生人類の人類創造まで行き着く予定です。

 

 

早速内容の解説に入ります。

 

「先代旧事本紀」は、ニギハヤヒの天孫降臨について詳しく描写してます。

ニギハヤヒに従ってついてきた、多くの部下の詳細な名前が上がってます。
イワレビコは、具体的な部下の名前の数がニギハヤヒよりも少ない。
 
そしてイワレビコの祖先のニニギの名前と、ニギハヤヒの名前を比較。
古事記のニニギ名「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命」
先代のニギハヤヒ名「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」
 
漢字は奈良時代あたりから、国の中枢に大量に入植&混血した中国系の影響を受けて正式採用される。
漢字名は、ニニギの方が長いが、ニギハヤヒの方が音としては名前が長い。
ニニギ:「あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと」
ニギハヤヒ:「あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと」
 
ニニギが天孫降臨して神武の系統は始まったと、権力側の古事記、日本書紀は主張しているので、「漢字名」で圧倒的に長い名前を当て字で与えた。
しかし、本来言葉とは文字ではなく「音」であり、音としての言葉の方が重要。
なので、音としてより長い、ニギハヤヒの神名の方が尊い。
 
更に、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」を区切ってみる。
天照国照彦/天火明/櫛玉饒速日尊
このそれぞれの区切られた名前だけで判断して、例えば籠神社の彦天火明命をニギハヤヒとするのは早計である。
単独名として扱ってはフルネームの意味がない。
(私も、単独名で判断して「アマテラス=ニギハヤヒ」と早計していました。反省。。。)
フルネームとして考えた時に、西洋によくある、父や祖父の名前をミドルネームとして入れこむ例を挙げ、以下のように解釈。
 
天照国照彦 ー アマテラス、すなわち天神に連なる名
天火明 ー ニニギ、すなわち天孫に連なる名
饒速日 ー 独自の名
櫛玉 ー 奇しき御魂
 
核心部分をそのまま引用します。
「ニギハヤヒは創作された神名だ。その実体を隠すためであるとともに、ある位置付けが必要であったからだ。その位置付けとは、神武に対する位置付けである。
建国神話を形成するためには、神武が大和の統治権を獲得したという確たる証が必要だ。誰を倒せばそれを獲得したことになるのか、大和の支配権は何をもって認められるのか、それを提示しなければならない。それができて、初めて「建国」を宣言できるのだ。
そのために「先王」が必要であった。先王という存在があってこそ、奪うにせよ譲り受けるにせよ、国家統治権の保証となる。ニギハヤヒとは、「ニニギより速い日」の意を込めて創られて、アマテラスの保証付き統治者を体現する名前でもあったのだ。「速玉」でなく「速日」とした理由がここにある。
したがって「ニギハヤヒはニニギの兄」とされているが、それこそは「連結」のための創作・強弁であろう。アメノホアカリに比定するのも同様である。『先代旧事本紀』にそう記されているのは、編纂者である物部氏にとって、それが必要であったからにほかならない。」
 
 
如何でしたでしょうか?
ニギハヤヒは神武(イワレビコ)との関係なくしては語れない存在なのですね。
 

「ニギハヤヒは禅譲などしていない。神武に政権を奪われたのだ。つまり敗北した。矛盾した記述がそう示唆している。かつて、オオナムヂにおこなったように、ニギハヤヒにも対したのだ。オオナムジを鎮魂するために杵築神社(出雲大社)を建立したように、ニギハヤヒを鎮魂するために石上神宮を建立した。

石上神宮の神こそはニギハヤヒである。そして、祟り神として鎮魂されている。」

 

「一族の王を失い、名も失った一族は、通称の「モノノフ」すなわち物部を名乗り、故地に氏祖を氏神として祀った。」

 
その他、
ナガスネヒコが治めていた三輪にある大神神社は、ナガスネヒコを祀って鎮魂している、

ニギハヤヒとは、スサノヲの子のイソタケル(五十猛)である、

等々、興味深い説が展開されています。

 

全国の神社とニギハヤヒとの関係の考察もしています。

十種神宝、十種祓詞、七支刀、ヤタガラス、スサノオの犯した罪、イザナミの眠る場所、に関しても詳しい記述があります。

古代史に興味がある方なら、一読しても損はない内容になってます。

以前の記事と絡めた引用は、ここまでとさせていただきます。

 

 

 

以下、個人的に次の考察につながる部分を。

 

筆者は、人霊を祀るようになった神道以前の、自然信仰していた時代(神武以前)に着目しています。

磐座、神籬信仰ばかりではなく、星を信仰していたはずですが、そこはなぜか歴史書から消されています。

アメノミナカヌシは北極星。

アマテラスは太陽。

データムグループの受け売りですが、ヤマト王朝以降、遠い星々ではなく、すぐそこの太陽を信仰するようになって、人々の意識は後退したはずです。

 

話は、縄文人、弥生人まで遡ります。

柳田國男氏は、縄文人を「山人」、渡来した弥生人を「平地人」と規定して、平地人を「日本人」と規定し、そこから日本が始まったと主張します。

縄文人をニギハヤヒ、渡来した弥生人を神武と置き換えると、分かりやすいですね。

神武東征は、人種が切り替わるくらいの変化であったわけです。

駆逐された縄文人は、蝦夷、土蜘蛛(古事記、日本書紀に出てくる)や隼人と呼称され隷属する。

下記にも「八束脛はすねが長いという意味である」とあり、ナガスネヒコの名前ともかぶる。

 

 

 

その縄文の自然崇拝の痕跡があるのが、熊野の地。

熊野は地形が隔絶されていたので、近年まで縄文人の血を色濃く反映した人が残っていた。

筆者は、その縄文人の風貌を残した人として、南方熊楠をあげてます。

早熟の天才で、英米に留学し、日本に戻ってきてからは、粘菌の研究と粘菌を生む神社の杜の保存に晩年を捧げた人です。

 

 

 

 

 

ここで一発、自説のトンデモ説かましていいでしょうか?

 

縄文人=国津神=ヒューマノイド型地球人=大陸が海に沈んで文明ごと消えてしまった前に存在した古い地球人

弥生人=天津神=ニビル星人に作られた爬虫類型地球人=シュメール文明からの今の文明の地球人

 

まあ、そりゃ人種も変わるわな、、、って思いませんか。

 

前文明(ムー)が海に沈んで、先祖返りしてしまった本来の地球人の遺伝子に、ニビル星人が自分たちの遺伝子を混ぜて創ったのがシュメール以降の人類。

この「人類」という言葉も示唆的で、「人の類い」、つまり人っぽい何か、ってことですもんね。

 

 

以前の考察。

 

 

先代旧事本紀のイワレヒコがニギハヤヒに言った、

「古より代々 下民は下民、皇子は皇子である、這い回る下民は討ってしまおう」も、

爬虫類型がヒューマノイド型に言い放った一言、と思えば納得なのです。

 

実際、神武天皇の描写は爬虫類を思わせる特徴があるのです。

先に挙げたアポロの本を書いた、コンノケンイチ著の本。

まだ読んでないけど(汗)。

 

歴史を乗っ取られた物部氏(縄文系)が書いたと言われる先代旧事本紀に、この描写があるのが意味深です。

やっぱり物部氏、そして編纂を命じた聖徳太子は、神武系の由来を知っていて、それを認めていなかったのではないか。

 

実は、前述の「ニギハヤヒは敗北した」で感じ入ることがあってですね。。。

私、西洋の格闘術と日本の古武術を併修しているのですが、西洋の武術ものって「勝ってなんぼ、相手をぶっ56せればOK」の世界なのです、どう美化しようが。

あまり追求すべきものがない。

ですが日本の古武術や中国武術(これも数年やってました)には、単なる武の先がある。

武道と「道」がつくように、神に至る進化(神化)の道があるのです。

「西洋の武術=爬虫類脳」のイワレヒコと、ヒューマノイドの縄文人のニギハヤヒが戦ったら、そりゃ負けるよね、って思ったのです。。。

元来設定されてる残虐性が違うのよね。。。


こうなると、古代ユダヤ(シュメールの末裔、ニビルの系列)が日本に入植してきたのを無邪気に喜んでいた自分が、アホだったと分かります。。。

反省。。。

 

 

 

 

今後も調査続けます。