先日ライチョウに関して書きましたが、リンクで貼っていた写真集が届いて、しかも中村先生も寄稿していらっしゃって、二人の生き方にとても感動したので、この写真集について書きます。

 

前回の記事:

 

 

届いた写真集:

 

 

山岳写真家と言えばよいのでしょうか。

水越さんは三河地方に戦前に生まれて、幼少の頃から登山に親しまれ、戦後十年くらいの時から冬期登山を始めたようです。

 

この写真集はライチョウの写真集としてはもちろん、春夏秋冬の山岳写真集としても楽しめます。

登山をしたことがある人なら、行った山々の思い出を振り返りながら楽しめるのではないでしょうか?

初夏のお花畑の美しさ、秋の紅葉の木々の色づきの多様さ、冬の峻厳な雪山の写真。。。

 

動物写真家の方って凄いなって思います。生まれ変わったらやってみたい職業の一つです。

私も雪山にはたまに行きますが、3000m級の冬期登山はやらない、やれない、やりたくない。。。

(でもいつかやっちゃうかも)

環境がとっても過酷な中でシャッターチャンスを狙うのですから。。。

雪山の雪と空とライチョウしか写ってない写真は本当に美しいのですが、これを撮るのにどれくらいリスク負ってるのかとか考えると、ただただ敬服します。

 

写ってるライチョウはどれも可愛いのですが、やっぱり雪上にポツンといるライチョウの写真が好きです。

地吹雪が舞い上がっている中で一匹だけ歩いてる写真、雪の上に顔だけだして風雪を凌ぐライチョウの写真、

周りは真っ白な雪山が奥に広がっている中で崖に佇む一匹のライチョウの写真。。。

どれも素晴らしいです。

人間から見ると環境が厳しすぎるように感じますが、氷河期の生き残りのライチョウにとっては天敵も少ないし、安心して過ごせる季節なのだと思います。

 

水越さんは幼い頃に、母親に連れられて木曽御嶽山に行き、ライチョウが神の使いであることを聞かされます。

その時から生涯消えないライチョウへの敬意を抱いたようです。

 

写真集の中から印象的な文を抜粋します。

 

長い歳月をかけて大陸から移り棲んだライチョウは、氷河期が終わって温暖化が進み氷河が後退すると、生き延びるためにその氷河を追いかけるように高山に登った。

それは温暖化に適応してさらなる進化を遂げるよりも、自分たちの生き方を頑なに守るためであったに違いない。

不思議なことに、ライチョウは捕食者や敵となる生きものに対しても争うことなく、徹底して身を隠すことで向き合った。

人間が無理に手で掴んでも、けっして噛んだり突いたりすることはない、と私はある研究者から聞いた。

完全な無抵抗主義というのか、可能なかぎり目につかないように平和に暮らす道を選択した鳥といえよう。

そんな頑固で不器用な生き方も、私がライチョウにこれほど惹かれる一つの要因となっている。

この部分を読んで、縄文人の生き様とライチョウが被りましたね。。。

 

厳冬期に群れで過ごすライチョウに対して、

群れてはいるが、仲間の中で互いに干渉することはほとんどなく、動きが穏やかで静かである。

ライチョウたちにとって一番安らぎ、幸せな季節であるにちがいない。

必要以上に仲間に干渉しない、群れない素敵な生き物です。

 

最後に、ライチョウ研究家の第一人者の中村先生が寄稿しています。

中村さんと水越さんは長年ライチョウに寄り添い続けた同志ですね。

最後は中村先生の感動的な言葉で締めます。

 

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私にとって水越さんは、孤高の登山家であり、山岳写真家です。

かつての日本人が持っていた山に対する畏敬の念を持ち、日本の山岳をずっと撮影されてきた稀有な写真家です。

ご自身の山への思いと生き様を、高山にひっそりと、しかし力強く今も生き続けるライチョウと重ね合わせ、撮影を続けられてきた方です。

ですので、水越さんのライチョウの写真は、この鳥の美しさやかわいらしさを撮ることに終始して撮影されたものとは異なります。

世界最南端の地である日本の高山という厳しい環境で、今もけなげに生き続けるライチョウの世界にいざなってくれる写真集であるからこそ、見た人に強いインパクトを与え、忘れがたいものとなるのでしょう。

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