本日の記事は

書くのに勇気を要するというか

ずばり己の恥と無知を

告白する内容になるのですが

・・・その前に、皆様の中に

「ジプシーはその言語に

『所有』という言葉を

持たない」という説を

耳になさったことがある方は

いらっしゃいませんか?

 

「彼らは生粋の

自由民であるがゆえに

『所有』などという言葉で

己を義務に縛り付けたりは

しない」みたいな感じで・・・

 

 

なんだったら一部にある

「ジプシーは盗む」みたいな

悪意ある偏見に対して

「違う、それは

『盗み』ではない、

彼らに『所有』の概念は

存在しない、故に『盗み』の

概念もない、誰かが

ジプシーに何かを

『盗まれた』とするなら

そこに存在するのは

文化的差異による

誤解である」とジプシー擁護の

論拠として使っちゃうくらいの・・・

 

いや、私はあるんですよ。

 

それで不思議なのは

私は自分がこの考えを

どこで得るに至ったかで・・・

 

そこが思い出せないんです!

 

それでですね、私は絶対に

反ジプシー的な文脈で

こうした説には

触れていない筈なんです。

 

何故なら私はこの

「ジプシーに『所有』の

概念はない」説を

一種の憧憬とともに

信じていたので。

 

信じていた、過去形です。

 

『ジプシー差別の

歴史と構造』を書いた

ハンコック氏によりますと

この「ジプシーに

『所有』の概念はない」は

古来より広く世間に

信じられてきた説で、

・・・しかし

ジプシーの言語に

『所有』を示す言葉は

バリバリに存在するそうです。

 

 

 

 

それでも多くの記者や

小説家や言語学者までもが

「ジプシーは『所有』という

言葉を持たない」と

無邪気に信じ、書き記し、

その間違いを世に広めて来た。

 

何故か。

 

「『所有』という概念を

持たない」ことに憧れるあまり、

そうした願望をジプシーに

押し付けたのではないか、と

ハンコック氏は指摘します。

 

しかしこういう憧れは

何かの拍子に簡単に強烈な

差別意識にすり替わる。

 

「『所有』という概念を

共有できない人間との

共存は無理ではないか」とか

「語彙の欠落は知能の欠落を

意味するのではないか」とか。

 

「ジプシーへの勝手な

『憧れ』の押し付け」として

ハンコック氏が

他にも挙げているのは

「馬にひかれた幌馬車で

移動生活をするのが

本当のジプシー」みたいな

見解で、こういう人は

トレーラーハウスだの

家だのに住むジプシーには

幻滅を感じ批判的になる。

 

怖いのは私も実は少し

そうした幻滅が

理解できるところです。

 

自分以外の誰かに

勝手に幻想を抱いて

相手がそれに

反する行動をすると

勝手に幻滅する。

 

誰しもが一度は通り

後から羞恥にさいなまれる

道かとは思うんですが

・・・私はそういうの、

若い頃に一通り経験して

「もう自分はしない」と

思っていたんですけどね・・・

 

そういう危ない感情を

対象に抱いた時は

少なくとも自覚できるものと

考えていたんですけどね・・・

 

まさか自分の中に

『ジプシー』に対して

ここまで強い思い込み、

差別が存在しているとは!

 

だって私は人生において

多分一度も『ジプシー』と

深くかかわったことは

ないんですよ。

 

なのにわかった気になっていた。

 

インターネットを通じ

未知の情報に触れる機会が

格段に増えている今、

その情報が本当に正しいのか、

無知と偏見から来る誤解なのか、

そこの見極めは非常に

難しくなっているとも感じます。

 

 

「ジプシーに

『所有』の概念はない」は

よく考えると

ジプシーを差別する側に

すごく都合のいい

理屈なわけですよ

 

それを口実に相手から

所有物を巻き上げられるし

「道徳がない」と見下せるし

なんだったら罰も与えられる

 

こんな怖いことを

いったい誰が言い出したのか

 

その言い出しっぺも

もしかしたら

悪意はゼロだったかも

しれないところが

真の恐怖だと思います

 

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