英国における

『ジプシー』問題を

いつか理解したいなあと

思いつつ準備した本

(『No Place to Call Home』)の

『読み時』を完全に

逸していた私でしたが

 

 

 

 

この春ふとした拍子に

向学心が復活。

 

ただほら・・・

 

英書はハードルが

高いじゃないですか・・・

 

当初予定では

『No Place to Call Home』を

読んだ後に、補足として

他の本を何冊か日本語で

読むつもりだったのですが

順番を変えてまずは

和書から読んでみることに。

 

というわけで手に取ったのが

イアン・ハンコック著

『ジプシー差別の歴史と構造

〈パーリア・シンドローム〉』。

 

 

 

 

読み終わった感想を一言で言うと

「とても勉強になりました」。

 

Norizoさん、それ、駄目学生が

課題図書を読んで

何も理解していない時の

常套句じゃないですか、と

思ってしまった方も

いらっしゃることでしょう、

何も知識がないところに

どかんと厚みのある情報を

投入されるとすっかり物事を

わかった気になってしまう

(陰謀論に悪い意味で

とりこまれてしまう人は

この傾向が強いと思う)のは

素人のよくないところ、

というご意見もあるでしょう、

でもこれは本当に私にとって

『読んでよかった本』となりました。

 

というかね!

 

『ジプシー』問題に関して

私はここまで物事を

知らなかったのか、と!

 

違うんです違うんです、

真実を知って目覚めた系

話じゃないんです、

純粋に歴史の話なんです。

 

そりゃ私は歴史の授業が

得意じゃありませんでしたけど

・・・そもそも我々は世界史で

『ジプシー』『ロマ』について

どれほど習いましたっけ?

 

道徳というか現代社会の時間に

「『ジプシー』という言葉は

よくない」というのは

習った気もするんですが、

では『ジプシー』とは

どういう人たちのことを

指すのかは

学習内容に含まれて

いなかったと思うんですよね。

 

「『ジプシー』って

聞いたことあるでしょ?

あれは使っちゃ駄目な言葉、

これからは『ロマ』ですよ」で

終了、みたいな。

 

 

そもそも『ジプシー』とは

どこに起源を持つ人々なのか?

 

『エジプトから来た人』から

転じて『ジプシー』だから

エジプトなのでは?

という説は現在は

疑問視されていて、代わって

出てきているのが

『インド起源』説。

 

でもインド起源ではない

『ジプシー』も存在し、

まあこの問題は

後日にとっておきましょう!

 

それよりもジプシーの歴史、

社会における扱われ方ですよ。

 

私は知識として『ジプシー』が

ドイツのホロコーストで

多数殺戮されたことは

知っていましたが、

故にその時点でそこに

ジプシー排斥の動きが

ドイツおよび欧州社会に

存在していたことは

わかっておりましたが、

皆様そういう『ジプシー迫害』が

欧州ではどの時期から

始まっていたと思います?

 

記録によれば『ジプシー』と

呼ばれる人々は14世紀には

ルーマニアに存在していて、

そこから西に移動する形で

欧州に広がっていくんですけど、

そこからナチスの虐殺まで

彼らはずっと基本的に

迫害されていたというか

かなり厳しく

差別されてきたらしいんです。

 

それでこの『差別』なんですけど

私は結局のところ

昭和生まれの日本人ですから

『差別』の理解が

ぬるかったというか・・・

 

近世・近代の欧州における

ジプシー差別って単純に言うと

「東欧では『お前は奴隷

(人として扱われない)』、

西欧では『お前は出て行け

(定住は認められない)』」で、

それに対して「嫌だ、自分は

奴隷になりたくない」とか

「出て行きたくない」とか言うと

「ああ、そう」で

殺されてしまうという・・・

 

そもそも奴隷になっても

命の保証はないんですよ、

だって奴隷なんですから。

 

だから逃げ続ける、

移動し続けるしかない。

 

シューマンの『流浪の民』で

歌われている人々が

何故ぶなの森の葉隠れで

宴を開いているのかというと

彼らには家がないし

宴を開く場所を

借りることもできないし

宴なんて開いているのが

露見したら懲罰必至だし。

 

よく『悪いジプシー』の話で

「彼らは物を盗む」とか

物語に書かれるじゃないですか。

 

でも彼らはそもそも

物を『買えない』状態で、

つまり奴隷でお金がないか、

お金があっても「うちの店は

ジプシーに売るものはない」で

買い物が出来ないか、

その状態でどうしても

何かが必要になったら

人間はどうするか、

という話で・・・

 

(注:だからといって

すべてのジプシーが

盗みを働くわけではない、

ここを間違えると

善意からの偏見

至ってしまうので注意したい)

 

ただほら、人間は

歴史に学びますから

第二次大戦後は

そういうジプシー差別は

解消に向かったのかと思いきや、

そもそも「ジプシーも

ホロコーストの犠牲者だった」と

西ドイツ議会が認めたのは

1979年で(それまでは

『人種がどうこうではなく

ジプシーは犯罪者だから

処刑された』と主張していた)、

その後1990年代でも

欧州の一部国家

(本書ではチェコ

スロヴァキアの事例が

挙げられている)では

ジプシーの強制断種

実行されていて

・・・強制断種?

 

90年代に?

 

欧州で?

 

『理由:ジプシーだから』?

 

・・・となりませんか?

 

私はなりました。

 

しかし何よりも私が

愕然としたのは、

当時90年代、

大学生としてそれなりに

本とか新聞とかを

読んでいたような

気がする自分が

こういう状況をまったく

知らなかったことですよ。

 

まあでもそれは私が

物知らずの

馬鹿学生であっただけの

話かもしれないのですが

私はここからもう一歩進んで

『無知は罪なり

(byソクラテス)』に

等しい状況にあったことを

この本は暴いてくれたのです。

 

続く。

 

 

第二次大戦を生きのびた

西独在住の『ジプシー』が

市民権の確認を求めても

西独政府はその申請を

却下したそうです

 

それまでに数世代にわたり

西独に住んでいても駄目、と

 

西独政府には西独政府の

言い分・政策が

あったのかもしれない

 

でもじゃあ戦争と収容所で

家も家族も仕事もすべて失い

「せめて虐殺の賠償を」と

求めても無視された人々が

そこからどう生きるべきであると

政府側は考えていたのか

 

『ジプシーの定住は認めない』の

精神が20世紀になってもなお

西欧諸国には残っていたのか

 

勿論世界中すべての国・地域に

差別は存在してて

わが祖国日本もその例外ではない

 

でも私は欧州にここまで強い

ジプシーへの差別があったことを

この本を読んで初めて知りました

 

知らないということは

恐ろしいことであると同時に

ある意味幸せなことですが

それは愚者の幸せであるとも思います

 

お帰りの前に1クリックを


ヨーロッパランキング