あの・・・

 

この月曜日にガザで

停戦が実施される、という話は

どうなったんでしょうか・・・?

 

ありましたよね

先週のニュースで?

 

米国のバイデン大統領が

イスラエルとハマスの間の

交渉が進んでいるって?

 

 

私は子供の頃「戦争や紛争で

命を失うのは誰にとっても

悲劇だが、特に

子供にとっては大悲劇だ」と

考えておりました。

 

つまりですね、大人はですね、

戦闘行為が起きる前に

そうした事態を止めることが

出来る立場にあったわけでしょう?

 

大人なんですから。

 

「政府の暴走です」とか

「他国のせいです」とか

「(自分ではなく)社会が・

世界が・権力が」と

大人だって色々と

言い訳はできますけれども

民主主義国家において

政府を選んだのは大人、

故に他国との交渉の

責任があるのも大人、

その時点での社会や

世界を作ったのは大人。

 

でも子供はそうした状況に

決定権・影響力を

まったく持たないまま

その結果に

巻き込まれなくてはならない。

 

こんなに割に合わないことはない。

 

早く大人になりたいものだ!と

当時の私は考えていたのです。

 

 

それでガザの話なんですが、

去年10月に戦闘が開始され

今年の1月の時点で子供の

死亡数は1万人に

達しているとの話でした。

 

日本の種子島くらいの地域で

4か月の間に

1万人の子供が殺された。

 

普通に考えたら我々は

「もう殺すな」と殺害者を

止めるべきですよね?

 

力ずくでも。

 

でも我々はそうしていない。

 

色々な背景や思惑や

大人の社会の理屈があるから。

 

口先では懸念を表明したり

早期の解決を希望したり

異議を唱えたりはするけれど

結局のところは今も毎日

子供はどんどん殺されている。

 

それもこれも10月7日に

攻撃を開始したハマスが悪い、

子供殺しの責任はハマスにこそある、

という考え方もある、ならば

我々はハマスを止めたか?

 

10月7日の以前、

ガザで、パレスチナで、

悲惨な境遇に置かれる子供たちの

存在を知っていながら

我々は何かしたか?

 

何かしようとしていた人々はいて、

各国政府もお決まりの

懸念や批判を口にしていた、

でも何も変わらないままに、

何も変わらなかったこそ、

あの10月7日の衝突が起きた。

 

少なくとも私は当時

『何かしようとしていた人たち』を

具体的には支えなかったし

今もガザの子供たちを救うため

何をしているのかと問われたら

答えに窮する程度の

行動しかとっていない。

 

ですから私は間接的に

ガザでの子殺しの責任を

負っていると思うのです。

 

 

自分は子供を殺す側にいる。

 

その立ち位置を

覚えていたいと思います。

 

 

「イスラエルとハマスの

どっちが正しい・悪いじゃなく

双方に殺された子供の数を

比較して考えてくれ!」と

私の中の子供が叫ぶのです

 

ガザでは今、子供たちが

餓死しているそうです

 

食糧だけじゃなくて

水も足りないってさあ、

高僧の断食修行でも

水だけは飲むものでしょうに

 

反パレスチナでも親イスラエルでも

親ハマスでも反ユダヤ主義でもない、

ただ子供を助けて欲しい

 

これは人類の普遍的な

希望とは違うんですかね?

 

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