そんなわけで歯なんですけど

勿論全然本調子じゃないんです。

 

そりゃ一時期のあの絶望の

連続激痛攻勢時に比べたら

今は疼痛が主体の

消耗戦みたいなものですけど

でもね!消耗しているのは

間違いなく私の歯の健康で!

 

治療開始までに私の奥歯の

根元がもつか・もたないか、

打てる手はすべて

打っていますけど

・・・6月中旬の

最初の治療予約までに

根元が回復不可能なまでに

破損したらどうしよう・・・

 

(消耗戦は

精神面でも行われている)

 

可哀そうな私が毎晩

眠りにつく前に

そっと思うことの一つは

「明日、目が覚めた時の

歯の痛みがどの程度のものか」。

 

大事なんです!

 

その後の一日を

左右するくらいに!

 

で、昨日の朝、私は起き抜けに

東京でお世話になっている

歯医者さんの夢を見まして。

 

懐かしの受付と

待合室を通り抜け

診療室の治療台に上がり

そして先生がやって来て

「いやあ、大変でしたね!

でももう大丈夫ですよ!

じゃあ歯を見せて!」

 

先生の後ろでは

看護師さんや受付のお姉さんが

優しさに満ちた微笑を浮かべていて、

ああ!そうか、私は東京で

治療を受けることにしたのだ、

それまで私の歯は

生き延びてくれたんだ、

よかったよかった!と

幸福感に満ちて口を

開けたところで夢は終わり

私は北国スコットランドの

布団の中に

自分を見出したのですが、

なんということでしょう、

その瞬間、私の奥歯の痛みは

完全に消えていたのでございます。

 

・・・信仰というのは

こういう形で

生まれるのでしょうね。

 

私が江戸時代の人間だったら

間違いなく歯医者さんの前の道に

観音菩薩像とか寄進していますよ。

 

 

たとえ現代であっても、これ

歯医者さんと私が

双方カトリックの信者なら

私は胸を張ってバチカンに

聖人認定調査を求めますよ。

 

神に祈りを捧げていたら

夢に先生が現れて

そして目覚めると

痛みが消えていた、

これが奇跡でなくて何なのか!

 

・・・まあ私は

心の汚れた俗人なので

『思い込み』とか

『たまたま偶然』とか

『夢を見たから

痛みが消えたのではなく

痛みが消えたから

そういう夢を見たのだ』とか

いくらでも理屈は

つけられるのですが

でもとにかく今の時点で

私の歯に痛みはない。

 

硬いものは

食べられませんけど。

 

これが火の消える前の

蠟燭の最後の慈悲、

歯の神経だけでなく

周囲の筋肉と神経が

すべて壊死した結果でなければ

本当にいいなあ、と思う私です。

 

なにせ俗人ですから!

 

思い煩う点は

いくらでもあるのです!

 

頑張っています。

 

 

三浦綾子の『塩狩峠』を

読んだのは中学生くらいの時で

あったと思うのですが

 

 

 

 

あれは本当に大傑作ですけど

その時私は幼いながら心の隅で

「この主人公がキリスト教を

受け入れる過程は、主人公が

出会ったのがキリスト教でなく

新興宗教であってもたぶん

主人公本人の視点からしたら

同じくらい感動的で

運命的なんだろうな」

みたいなことを考えまして

 

で、少し大きくなってから

今度は『氷点』を

読んだんですけど

 

 

 

 

 

 

 

楽しく小説を読んで

最後のページを閉じてやはり

「主人公の父親が出会ったのが

キリスト教信者ではなく

オウム真理教信者でも

この話は成り立つな」と

思ってしまい・・・

 

どんな宗教も末端信者や

一部の指導者は

驚くほどに心が清く

勇気を持って行動する面が

あるじゃありませんか

 

主人公の父親は

病院経営者兼医師だから

たぶんそうなったら

オウムも本腰を入れて

勧誘をしてくるでしょうし

 

・・・歯の痛みから

何の話なのか、ある意味

通常運行ではあるんですが

まあ何が言いたいかと申せば

皆様、歯は

お大事に、でございます

 

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