さて、バイデン氏が新たなる

アメリカ合衆国大統領に

就任なさいまして。

 

就任式での新大統領の

演説を聞きながら

私は思いました、

前大統領の

ドナルド・トランプ氏は

良くも悪くも非常に

特徴的な『話術』の

持ち主であったのだなあ、と・・・

 

あ、こういう書き方は

誤解を招いてしまうかもしれない、

私はこれ、「バイデン氏と

トランプ氏を比較して」とか

そういう話を

したいんじゃないんです。

 

バイデン氏のスピーチは

我々がイメージするところの

『大統領の話し方』、

『(英語圏の)政治家の

話し方』というか、

あの方は吃音がある

とのことですが、そういう人が

これだけの弁舌を

世界の前で披露する、

その陰にはどれだけの

努力があったのか・・・と

そういう話も今日は違うんです。

 

バイデン氏の吃音克服の物語は

真実凄いと思いますけれども。

 

わが夫(英国人)は常々

「トランプ大統領(当時)は

宗教指導者のような話し方をする」

と言っていて、で、それを聞いた私は

「君のイメージする宗教指導者って

どんな話し方をしているんだよ」

と笑っていたのですが、そう、

今ならわかる、いかにも

政治家らしい『これぞ大統領』な

バイデン氏の話し方を

ラジオを通して聞くと腑に落ちる、

トランプ前大統領は、あの方は

政治家としてはかなり異端な

話しぶりを持っていた。

 

私は音声学者でも何でもないので

専門的な用語は使えないんですが、

政治家ってつまり

聴衆に言葉を伝えるため

『はきはきと』『大きな声で』

演説をするものじゃないですか。

 

特に『大きな声』は政治家としての

自分の『活力』を示すためにも

選挙演説などでは大事な点で、

故に彼らの声の基調は

『メゾフォルテ(mp、やや強く)』、

そこから『フォルテ(f、強く)』、

ここぞという箇所では

『フォルテシモ(ff、非常に強く)』。

 

声に自信のある人は時に

『フォルテシシモ

fff、非常に非常に強く)』を

出す時もありますが、これは

一歩間違えると声が割れ

印象が悪くなるのが難点。

 

上手な演説者はこの強弱の

メリハリの付け方が上手い。

 

で、米大統領選挙の

候補者になる程の政治家は

皆それなりに話術を

誇っているわけですが

やはり基本の声の強さは

『メゾフォルテからフォルテシモ』。

 

それに対してトランプ氏は

ここぞという時に

『ピアノ(p、弱く)』の声を

出すことがあったなあ、と。

 

そして少し音楽を

齧った人ならわかるはず、

聴衆に『ピアノ』を意識させるには

演奏者は『ピアニシモ

pp、非常に弱く)』くらいの気持ちで

音を小さくする勇気を

持たなくてはならない。

 

トランプ大統領は『常に大声』

『いつも怒鳴っている』印象が

世間には強いかと思われますが、

しかしあの人の演説動画を

気を付けて観て欲しい、

声を最大に張り上げている

ところでもそれは

『フォルテシモ』どまり、

しかもその音はしっかりと

抑制されていて安定感がある。

 

そしてトランプ氏はところどころで

実に効果的に声をひそめる。

 

喉ではなく胸を使った

深く厚みのある声で

高らかにフォルテの強さで

1フレーズを歌い上げ、

そこで息継ぎ、タメを作り、

ピアノの声で言葉を閉じる。

 

あるいは低く抑えた

小さい声で問題を提起し、

クレシェンド(だんだん強く)で

自身の考えを述べ、

そしてクライマックス、

とっておきの

フォルテシモで解決策を語る。

 

これは・・・

 

これは確かにある種の

宗教指導者が欲しくて

たまらない声と話術だ・・・!

 

とにかく強弱の

付け方がすごいんです。

 

これは何、練習の成果?

 

それとも持って生まれた才能?

 

この人、舞台役者の道を志したら

シェイクスピア俳優として

後世に名を

遺したんじゃないですかね?

 

練習すれば誰でもできる・・・って

技術じゃないと思うんですよ、これ。

 

そこらの政治家が

こんな話し方を真似したら

絶対に反発を食らうと思いますし。

 

だって大人が大人相手に

「小さな声で歌うように話をする」って

なかなかできないですよ?

 

一歩間違えれば幼稚園の先生が

子供に絵本を読み聞かせる時の

声になっちゃいますもの、

政治家にそんな演説をされたら

聴衆の最初の反応はまず

「有権者を馬鹿にしとるのか」ですよ。

 

いや・・・

 

そういえば反トランプ派の人々は

かなり早い段階から常に

トランプ氏の言説に対し

そういう嫌悪を見せていたような・・・

 

誤解を恐れずに言えば、

トランプ氏の声と話し方って

我々の多くが本能的に『魅力的』と

感じるものなのではないかと。

 

その魅力的な声が

自分と同じ意見を

歌い上げてくれたらそれは

嬉しい、スローガンを

一緒に大きな声で唱和するのは

ものすごく歌の上手な人と

合唱をするようなもの、

ほら、幼稚園とか保育園とかで

好きな先生と一緒に歌を

歌うのは楽しかったでしょ、

自分の声も強く美しくなった

気がしたでしょう、ああ楽しい!

ああ素敵!ああ気持ちいい!

だからそういう人たちは

熱狂的にトランプ氏を支持する。

 

対してトランプ氏の政治的意見に

賛同できない人たちは

その言葉の内容には同意できない、

言っていることには大反対、

でも同時にトランプ氏の声は

生理的に『心地いい』、

そこに内面での葛藤が生じ、

故に『反トランプ』の意志の示し方が

やはり熱狂的・感情的になりがち。

 

今度トランプ氏の演説を

どこかで耳にする機会があれば

その声、音の強弱にご注意ください。

 

本当にこれ、どこまでが

計算でなされているんだろう、

というくらいあれはすごい技法です。

 

いや、天性なのか?

 

大袈裟な、芝居がかった話し方を

『恥ずかしい』『票につながらない』と

忌避する政治家が多い中、

トランプ氏は大統領として

徹頭徹尾、自己陶酔を完遂した。

 

そこがトランプ氏の政治家としての

『怖さ』であると私は感じるのです。

 

 

少し古い(2016年)動画ですが

冒頭部分、ほとんど割れかけの

フォルテシモで話し出し、

しかしセンテンスの『終わり』では

声を弱めているの、わかりますか

 

 

これはなかなかできないですよ

 

普通の政治家は

センテンスの終わりまで

元気に声を

張り上げてしまう気がする

 

言葉を伝える、のではなく

言葉で酔わせる話し方というか

 

反トランプの人たちは

トランプ氏が何故ここまで

大衆の支持を得るのか、について

「支持者が馬鹿だから」で

済ませようとしますが、

私はそれは危険だと思う

 

トランプ氏には『何か』がある

 

その『何か』から目を背ける限り

反トランプ派はトランプ氏を

打倒することは出来ない

 

そんなわけで

トランプ大統領の演説における

『声音』の話でございました

 

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