『週刊新潮』が
大変なことになっております。
今回の騒ぎをご存じない方も
いらっしゃるかもしれません。
簡単にご説明申し上げますと、
朝日新聞阪神支局襲撃事件って
ありましたよね。87年に起きた
言論に対するテロ事件です。
あの事件の
『実行犯』の『実名告白手記』を
今年はじめに
『週刊新潮』が掲載したんです。
この手記が掲載された当初から
朝日新聞社側はその内容に
疑問を表明していたんですが、
当初『週刊新潮』側は
徹底抗戦の構えだったんですよ。
それが4月頃から
風向きがおかしくなってですね。
なにせ『実行犯』とされていた男性本人までが
「あの記事は嘘」とか発言しだしてしまい。
で、今回の
誤報謝罪記事の掲載となったわけです。
この騒動により
「新潮ジャーナリズムへの
信頼が損なわれてしまう」的な発言が
識者の間からは出ているわけですが
・・・え・・・世間の方って
『週刊新潮』の報じるニュースを
そんなに信じていたんですか・・・?
そう突っ込むのは容易いこと。
私はね、嫌いじゃありませんでしたよ、
『週刊新潮』のあの報道姿勢
(じゃあ好きなのか、と問い詰められると
それはまた答えに窮するわけですが)。
ゲスで下品で下世話なニュースこそが
読者の皆様の読みたいものだ!
と堂々と主張し紙面を作ることって
このご時世
かなり勇気の必要なことだと思うんです。
優等生路線を堅持しようとして失敗し
ユーモアのセンスがないもんだから
ウィットを押し出すつもりが
単なる小姑根性の露見となり
現在完全に方向感を
見失った感のある『週刊朝日』。
週刊誌界の遊撃手として
快進撃を続けたものの
手に入れた安定感が逆にアダとなり
一時無意味な紙面刷新をはかり
泥沼に陥った『週刊文春』
(しかし現在は再び安定を取り戻している、
『文春』は下手な欲を出したら駄目だよ!
今の状態で磐石なんだから!)。
朝日・新潮・文春の三巨頭に
戦いを挑もうとするも
武器になるものが何一つなく
ひたすら他誌の後塵を拝している
『サンデー毎日』
(飛行機の週刊誌の棚に
『サンデー毎日』しかなかったときの
あのがっかり感はただ事ではない)。
こうした他の週刊誌と比べたときの
『週刊新潮』の特徴とは何なのか。
『よくこんなこと書くね、恥ずかしくないの』
と軽蔑されることを恐れない、
『お前には人の心がないのか』
と批判されることも恐れない、
『こんな記事を載せるなんて、正気を疑うわ』
と唾を吐かれることももちろん恐れない、
あの、狂気と紙一重の編集方針。
『朝日』『文春』『毎日』『新潮』の
週刊誌4誌のうち、
お店で購入するのに
もっとも勇気を必要とするのは
『新潮』なんだと思うわけですよ。
だって品性下劣だもん、あの雑誌。
でも週刊誌ってそういうものでしょ。
そういうふてぶてしさ、醜悪さと引き換えの
潔さと力強さが『週刊新潮』にはあったのです。
「ええ、我々は国内最低の報道集団ですが、
それが何か。これが新潮ジャーナリズムです」
という他の雑誌にはない凄まじい開き直り。
それだけに今回の誤報は情けないです。
そしてこの『謝罪文』に透けて見える
新潮側の『被害者気取り』も悲しいです。
新潮には嫌われ者の美学を貫いて欲しいのよ。
一読者として切に望みます、
『週刊新潮』、もっと誠実に謝罪してくれ。
これとは別件で
陸上の為末選手がらみの記事でも
名誉毀損で罰金支払命令ですって?
どうしたのよ『週刊新潮』!
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しかしですね、
松本サリン事件の被害者の家系図掲載とか
福岡一家4人殺害事件の大嘘報道とか
あれら鬼畜の誤報を思い返すと
『週刊新潮』なんか買っちゃいけないのかな、
「報道姿勢が嫌いじゃない」とか書くのは
やはり人として許されない行為なのかな、とか
常識派の私は悩んでしまうわけですよ
今回の誤報だってさ、
新潮側の裏づけ取材が不十分だったことなどを
メディアは盛んに問題にしているわけですけど、
そういう話の前に我々は
襲撃事件で命を奪われた記者のご遺族や
ご友人たちの気持ちを慮るべきだと思うんですよ
こんな記事、確証もなしに載せたら駄目じゃん、絶対
子供でもわかるだろ、そんなこと!
あとですね、こういう謝罪記事を載せるなら
「松本サリン事件、いかにして我々は
無実の河野氏を容疑者に仕立て上げたか」
「福岡一家4人殺害事件、
犠牲者家族の名誉と心を我々が傷つけた理由」
のふたつの検証記事も絶対に書かなきゃ
よしわかった、来週号で書こう!
4月は『週刊新潮』華の謝罪月間ということで!
書いてくれたら絶対にその号は買うから!
頑張れ、頑張って書いてくれ、『週刊新潮』!
書かなきゃ卑怯だよ!なあ!