どうも、すこっちです。(^^)
慶長13年(1608)1月、将軍徳川秀忠から政宗様が「松平」の姓を賜り、陸奥守に任じられる。
これにより、皆さんがよく知る「伊達政宗様」という名前が次のように呼ばれるようになりました。
松平 陸奥守 藤原 朝臣 政宗
実は伊達政宗様が「松平」の姓を頂戴したのは、二代将軍の秀忠公からだったんですね。もっとも、家康公は2年しか将軍職をしていないし、仮に将軍ではなくなっても実質「大御所」として君臨していたことは確かですから。
この後、政宗様が60歳のときに朝廷から従三位権中納言の位を賜った時には陸奥守が権中納言に変わるのですけど、
昔の位の高い人達の名前って、ありがたみがあるんだろうけど、長いですことねぇ。(-_-;)
でね、この「松平」という姓ですが、もともとは徳川家康が「徳川」を名乗る前に使っていたものを、徳川の世となってから、徳川家に忠誠を誓った証として、譜代に限らず外様大名にも下賜しまくって徳川の家臣としてのブランド価値を高めていったということのようです。
じゃあ、政宗様以外にどんな方がこの「松平」姓を下賜されたのかというと、
島津家・毛利家・久松家・奥平家・前田家などなど錚々たる大名に下賜されました。
この松平姓を名乗るのは、一代限りではなくその後の歴代に渡るものだったので、名誉のプレミア度合いはかなり大きかったものと思われます。
しかしながら、あの赤穂藩池田家や加納藩菅沼家のように無嗣断絶や改易の憂き目にあった大名家もあり、必ずしも松平姓のネームバリューがお家を救ってくれるという保障はなかったようです。