どうも、すこっちです。(^^)
みなさんは世阿弥ってご存知でしょうか?
世阿弥(ぜあみ)は、父の観阿弥(かんあみ)とともに余興として楽しまれていた猿楽(さるがく)を優美な舞台芸術である現在の能として大成させた立派な人で、室町時代の売れっ子スターだったのです。(名前ぐらいは歴史の授業で習ったことあるのでは?)
この世阿弥さんが能楽論を記した「風姿花伝」という秘伝書が芸事に関することだけじゃなくて、人生観を極めたようないいことがたくさん書かれてあるんだそうですよ。
でね、今日はその中の一つをみなさん紹介したいと思います。
それがこちら↓
「何もしない、ただ立っている、ただ静かにしている、その時こそ、心を捨てずに集中し、すべてをつなぐ張り詰めが肝心であり、それが自ずと外に表われて、面白いものになるのだ、と。
だが、まだそれでは足りぬ。月にも花にも到底かなうまい。何もしない、ということをしようとしている心、があるからである」。
深いですねぇ。ただ立っている、ただ静かにしている、そこから面白いものになるって、う~ん、分かるようで分からない。(-_-;)心を捨てずに集中して張り詰めるってとこが肝なのかな。
そして、それじゃあまだ足りないんだと。アタシらは🌙にも🌷にもかなわない。なぜならば、何もしないということをしようとしている心があるからだ、と世阿弥さんは仰っている。
なるほど、つまり何もしないようにしょうと意識している時点で心がブレていると。達観した人はそもそもそんなことを思うことがないんだと、常にフラットな状態から意識しないで表れ出る”美”に勝るものはないんだと、こう言いたいのかな?
「こうしようという」有意識の中から生まれるのではなく、無意識な自然体の中から表れ出るのが”究極の完全体”なのだということなのでしょうか?
いやあ、それにしてもいい言葉だけど、難しいわ。つーか世阿弥さんのレベル、半端ない!
でも、一度「風姿花伝」を読んでみたいかも。