会議の不思議!誰も疑問に思わないものなのかしら? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^o^)

 

学生が社会人として世に出ると、まあいろんな会議に出席する機会が発生しますわな。

 

所属している課のミーティングだったり、組合の大会だったり、はたまたプライベートで別なコミュニティに参加されている方は、総会だったり、理事会だったりと。

 

でね、こうした会議の進め方について、アタシが最近疑問に思っていることがある。

 

まず1つ目は、冒頭一発目に行われる、然るべき立ち場の方の挨拶。

 

これがね、まあ大体の挨拶が通り一辺倒の当り障りのない内容。多いのは最近の情勢だったり、動向だったりをなぞる感じの内容ね。まあ、それはいいとして、問題なのはその後があまりよろしくない場合が多い。話の内容があっちに行ったり、こっちに行ったりして結局まとまらないまま、無理矢理不時着するパターン。本来主催者が会議として望んでいる展開は、議論が円滑に進み、闊達な意見が飛び交って、実のある議論が展開されることを希望しているわけでして、然るべき立ち場の方はいわば着火材になるような、山椒のようなピリッとした含蓄のある弁舌をしていただきたいと思うのであります。

 

しかし、なかなかそういう冒頭の挨拶にはお目にかかれない。

 

そして、2つ目は、メイン議題には上がっていない「その他」の質疑応答の時間を先に持ってきたらいいのではないか?ということ。

 

会議のレジュメなどでは、だいたい一番最後に「その他」という項目で、「最後にその他として、なにか意見のある方がいましたらどうぞ!」的な進行役のフリとなる。

 

でもさ、いっそのことこの「その他」を最初の方に持ってきた方がいいんじゃないかとアタシは思うのです。

 

だって、例えばですよ、議題としては上げてはいなかったけど、実は自分が温めてきた提案があって、それをみなさんに聞いてもらいたいという人がいたとするじゃあないですか。

ところが、会議の進捗がダラダラで時間が押して、最後の「その他」にたどり着いたときには、もうほとんど時間がなくて、借りている会議室の返却リミットが迫っているわ、出席者の集中力も途切れているわで、会議を早く終えたいモード一直線の状況になっている。

 

巻きが入っているこの状況下で、その場の空気を感じたら、あえてこのタイミングで時間が引き伸ばされるような新提案をしようとは普通の人だったら思わない。時間もないんだしと引っ込めるわね。

 

だったらね、いっそのことこの「その他」を最初の方に持ってくればさ、提案のある人は気兼ねなく提案を発表できるだろうし、議論の時間も十分に取ることが出来る。どうせ、予定調和なありきたりの活動報告だったり、結果発表的な議題は中身が薄かったり、下手をすると出席者に聞き流されている場合が多い。それにそういう議題は、後に回されて仮に時間が押したとしても、中身を端折って說明をしたところで,文句を言う人はいないはず。

 

大事なことは、すでに終わったことの結果発表や議論よりも、これからどうするか?というイノベーション的なアイデアを捻出し、それを実現するためにどうするかという議論を深めるべきで、そこにたっぷりと時間を取るべきなのではないかとアタシは思うのです。

 

仮に「その他」を最初の方に持ってきたとして、提案も意見も出なかったら、それはそれで会議の一項目を消化できる分けですから、進行も早められるし、悪い事じゃあない。

 

あと3つ目は、「この件について、なにか意見のある方」という進行役のフリね。

 

幼い頃からディスカッションをするのが当たり前というハードな環境下で育った欧米諸国の人々とは違って、聖徳太子の十七条の憲法よろしく「和を以て貴しとなす」的な刷り込み教育を受けてきて、議論を遠回しに避けることを植え付けられてきた日本人としては、自分に火の粉が降り掛からないのであれば、できる限り素通りしたいと思うのが心情というもの。

 

だって、別に自分に意見を求められているワケではないのですから。

 

だったらいっそのこと進行役の方は、「この件について、〇〇さんはどう思いますか?」と名指しで意見を求めていったらいいと思うのです。

 

いくら会議の内容が右の耳から左の耳に流れていって、思考停止の無意見論者だったとしても、さすがに自分に振られて意見を求められれば、何かしらの発言はするはず。そうすれば、その意見を聞いた他の出席者が反応して、発言する人も出て来て、議論が深まる可能性が高まる。

 

一番良くないのは、進行役も他人任せで、出席者も我関せずとサイレントマジョリティに姿を変え、会議の出席者一同が「総石ころ帽子をかぶった状態」になることなのです。

(ドラえもんの道具に石ころ帽子という道具があるので、分からない人はググってみてね)

 

最後は、一つの議題に対して議論する時間に制限を設けるべきってことね。

 

会議において得てして議論が熱を帯びてくると、際限がなくなる。たちが悪いのが、議題に関する議論ならまだしも、どんどん関係のない横道それてしまうことが往々にしてあるということ。

なのであれば、ぴったしカンカンの解答権が隣のチームに移動する時に鳴らす「チン」という鐘のようなものを用意し、進行役が「この議題の議論時間は10分にします。」とでも言って、制限時間を設けてしまえばいいんだと思う。

 

リミットを決められれば、人間誰しもあおられて必死になって議論をしようとするだろうし、意見が出なければ出ないで、進行が早まるしで、いい事ずくめのはず。

 

一番悪いのは、出席者が好き勝手に発言をして、ダラダラと意味のない議論を垂れ流しにして時間を無駄に使ってしまうことなのではないかとアタシは思う。

 

以上、すこっちの会議の不思議!いかがでしたでしょうか?

 

よく日本の会議は「会議」ではなく「怪議」だと揶揄されたりしますが、そもそも会議とはこうあるべきだという凝り固まった固定観念がよろしくない。

 

新しい会議の形、模索してみては?