どうも、すこっちです。(^o^)
いやあ~ついにというか、とうとうと来ましたね、この日が、、、。
そう言えば宮城県地方では強の朝5時10分にも大きめの地震があったんですよ。
3月16日に発生した震度6強の地震で傾いてしまった仙台城にある我らが伊達政宗様の騎馬像が修復のため、本日台座から切り離され、本丸敷地内の別な場所に移動されました。
7月8日には修理をする東京都内の工場へと仙台城を出発。修理を行いまして、仙台に凱旋するのは来年4月の予定とのこと。
ご覧に慣れていない方はこちらの動画をどうぞ!
動画をご覧になられた方は、果たして何を思ったでしょうか?
アタシはこう思ったよ。
「おお、政宗様がペガサスのごとき五島号と天空を翔けているではないですか!」
たかだか傷んだブロンズ像を台座から切り離し、クレーンで吊り上げて別の場所に移動しただけ。たしかにそうである。でも、この「地震で傷んだ騎馬像を東京へ修理に出してやる」という行為に対して、メディアがこぞって想像力を掻き立て、思い思いにこの情景を自由に表現している。インタビューを受けていた伊達武将隊の支倉常長さんは「参勤交代」と表現した。
この光景をどう表現するか?ここに、あなたのセンス、発想が豊かかそうでないかが問われているのです。
でね、これはアタシの勝手な妄想ですがね、この騎馬像修理を=伊達政宗と愛馬五島号が仙台城から「参勤交代」ではなく「出陣」と捉えた場合、ちょっと深イイ話になるって知っていましたか?
政宗様が愛馬「五島号」(または後藤黒)にまたがって仙台城から出陣する。
政宗様の愛馬「五島」を献上したのは、伊達21要害のひとつ不動堂要害(旧小牛田町)の城主だった伊達氏家臣・後藤信康(ごとう のぶやす)でした。
五島は黒い毛並みが美しい馬で、政宗様は戦の度に乗用し、五島をこのうえなく気に入っていました。「馬首が向かうところ戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取る」と言われたんだとか。
人馬の息がぴったりの政宗様と五島号。漫画で例えるならば、北斗の拳のラオウとその愛馬「黒王号」もしくは花の慶次の慶次と愛馬「松風」といったところでしょうか。
しかし、戦場を一緒に駆け巡った盟友もよる年並には勝てず、衰えが見え始めます。
1614年(慶長19)大坂冬の陣の際、政宗様は老齢になっていた五島号を厩舎に置いて出陣をします。政宗様とすれば、五島号に負担を掛けまいとの気遣いだったのですが、「馬の心 政宗知らず」それが思わぬ不幸を招いてしまいます。
なんと五島号は「もう自分は政宗様のお役に立てないのか……。」と嘆き悲しみ、あろうことか厩舎を脱走!本丸の崖から身を投じて亡くなったと今に伝えられています。(ペガサスは不死の象徴なんだそうですけど)
政宗様は、このことにとても心を痛め、飛び降りた蠣崎(かきざき)の地に五島を手厚く葬りました。そして、馬上蠣崎神社(後に移転し、跡地には馬上蠣崎稲荷があります)を建立して祀り、追廻馬場の守護としたそうです。
でね、あれから400年の時を超えて、もちろんブロンズ像ではあるけれど、愛馬五島号とまもなく仙台城を後にする政宗様。五島号にしてみれば、あの時叶えられなかった思いが結実することになる分けで、これ以上の喜びはないのかもしれませんな。
きっと来年の春には人馬一体となった凛々しいお姿で、また天空を翔けて台座にお戻りになることでしょう。
それまで、仙台城は主が不在となりますが、私たち仙台城ガイドボランティア会のスタッフがしっかりと政宗様の留守をお預かりしておりますので、「どーせ騎馬像無いんでしょ」なんて言わずに足を運んで頂けたら、すこっち一同大変嬉しい限りです。
その際には、馬上蠣崎稲荷まで足を伸ばして、五島号を偲んでみるのも悪くないかもよ。