葬儀の相場に感じるモヤっと感。 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

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どうも、すこっちです。(^^)/

 

先週の話なのですが、大変近しい人が亡くなった。

 

以前から病に臥せってはいたが、昨今のコロナ禍のご時世もあり、お見舞いにも行くことも叶わず、近況もどうなっているのかも全く伝わってこない状況。

 

ゴールデンウィーク中にはひょっとすると、ひょっとするかもよみたいな話をされていて半信半疑で自分の中に飲み込んではいたのですが、結果的には帰らぬ人となってしまいました。

 

今までアタシも葬儀なるものには何度も出席をしたことはありますが、あくまでそれは葬儀への参列者としての域を出ない立場であって、葬儀に主体的に関わるような立場になることは無かった。

うちの親はまだまだピンピンしているので、そういうお役目が回ってくるのはまだまだ先のように思われるのですが、今回はたまたま葬儀に主体的に関わる方の傍で、いろいろな決め事を目の当たりにする機会に恵まれたのです。

 

でね、その光景を一通り見ていたら、どうにも解せないことのオンパレードなのである。(>_<)

 

「なんで葬式ってお金が掛かるの?」である。

 

そりゃね、話には聞いていたよ。もらった香典でトントンだとか、足りないだとかね。

だけどさぁ、あの根拠があって無いような価格戦略には正直、恐れ入った。

 

まずは、通夜や告別式の時にたったの2回しか使わない花を飾った祭壇料である。

あの祭壇、上は120万円~下は40万円なんだそうな。んでもって、40万円だと一切お花が飾られていない。さすがにそれじゃあ寂しいよね、と庶民感情をくすぐっておいてだ、最低ランクは選択肢から排除される。結果、最上級ではないけれど、それなりに体裁を整えた、恥ずかしくないような「竹」クラスに落ち着く。「竹」と言っても、60万~80万円の代物である。

 

もちろん、この60万円OVERには、棺桶代やらその他諸々の別な費用も含まれてはいるようだが、それにしても、スーパーの広告とにらめっこをして、ガソリン価格に一喜一憂しているアタシらのような一般ピープルにしてみたら、どうも釈然としないような次元の価格交渉が飛び交う。


あと「兄弟一堂」や、「孫一堂」といった花輪やお菓子なんかね。


これって、何も無いと世間体的に絵にならない、故人に寂しい思いをさせたくないという気持ちからくる「見栄」以外の何物でもないように思うのは、アタシだけだろうか。

 

もっと解せないのが、和尚さんに支払う戒名代&お経の代金である。

 

これねー、正直いくらという明確な金額設定が無い。(>_<)(まるで、時価のお寿司屋さんである)

なので、葬儀屋さんや親戚やらに大体の相場を聞き出して、「まあ、こんなもんか」みたいな感じで現ナマで支払う。そこには領収書なるものも存在しない。(まあ、発行してくれる人もいるんでしょうけど)

 

そりゃね、功徳を積まなきゃ和尚さんにはなれないんでしょう。数多くの修行を積み重ねてきて今日があるというお坊さんもいるんでしょう。いろいろとお金が掛かるというのも分かります。

死者を弔う間際にお金のことで、もめたりするのもどうなんだ?ということも理解できますよ。

 

でもさ、中にはね真面目にお金に窮していて、葬儀費用の捻出が難しい人だっているんです。

望まざる葬儀の責任者的なお役目が運悪く回ってきてしまった人だっていると思うんです。

 

そういう方のための弱者救済のヘルプ措置みたいなものはこの業界には存在しないんですかね。

仮に僧侶という立場が人格者であるのだとしたら、黙っていても袖の下に大金の入った封筒をオートマチックで放り込まれてニンマリみたいなシステムがずーっと続くまんまで本当にいいの?


そもそもこのシステムって、お釈迦様の遺志を引き継いでやってることなの?

 

火葬場に貼ってあった料金表を見てこれまたビックリ!何と火葬自体の料金は2万円!

へっ?そんなもんなの?いたって良心的じゃん。じゃあ、一体全体このセレブ価格設定の世界はなんなんだい?誰が作り上げているの、葬祭バブルって。

 

別にアタシは葬儀関係者にケンカを売るつもりはないんです。詳しくはわからないけど、いろいろな算定根拠に基づいて価格設定もなされているんでしょう。

なにより、今だと家族葬だけにとどめて20万円弱位でコンプリート出来るという良心的な葬儀屋さんもいるという話も聞く。

 

結局のところ、誰も何も分からないまま、安穏としているうちに親や近親者に突然お迎えが来て、生前にどーして欲しいとか、こーして欲しいという引継ぎもないまま本番を迎えて、右往左往するうちに、周りの親戚オールスターズ&葬儀社プロフェッショナル仕事の流儀スターズに仕切られて、事が進む。みたいなことなんではないでしょうか?

 

エンディングノート、生前葬など一昔前よりは耳にする機会が増えたような気はしますが、まだまだ浸透をしているとは言い難いよね。

 

そもそも仏教に何が何でもこだわらなければいけない理由とはなんなんだろう?

 

葬式という一大イベントを迎えるまで、自分が〇〇宗の△△派だということに気づいていない人だって沢山いるというのに。

 

死者を弔うということはお金のことは誠に言い出しにくいシチュエーション。

 

でも、奥歯にものが挟まったようなシステムのままで、それにあぐらをかいていて本当にいいのでしょうか?


お客目線、ユーザー目線に考えたら、見直す点はいっぱいあるし、遺族の気持ちに寄り添うサービスはもっともっと提案できるはず。

 

予定調和の「This is 葬儀!」に一石を投じる革命が起きる日は来るのでしょうか?