どうも、すこっちです。(^^ゞ
球春到来!我が楽天イーグルもファン的には充実したメンツで開幕を迎えたように見えたのですが、蓋を開けてみたら、記念すべき初戦は0-4と1点も取れずに完敗。(>_<)
相変わらずの「あと一本が出ない病」が開幕早々から発症したといった感じでしょうか、、、。
落合博満さんの本が私は好きで結構読むのですが、昨年発売されたベストセラー本「嫌われた監督落合博満は中日をどう変えたのか」の中にも書かれているのですが、落合さん的には自責点を2点~3点に抑えたのであれば、それは投手としての責任は果たしているとよく耳にしますが、その考え方は?だと言うことのようです。
なぜなら、投手が0点に抑えていればチームは最低でも引き分け、負けない分けですから「俺は2点に抑えているんだから、打てない打者が悪いんだ!」みたいな責任転嫁的な思考は結局のところ、チームのには良い影響を与えない=チームのためにはならない。
自分が打たれて敗色濃厚な時に、打線が奮起して試合をひっくり返してくれて勝ち星が転がり込むこともある。要は持ちつ持たれつなこともある。それを「自分はやることをやってるんだ!打ってくれなきゃ俺に勝ち星が付かねえだろう」みたいなものが伝わってくるようでは、まだまだ投手としては残念な存在だと。
勝てる投手=計算できる投手=エースになるということは、そういう理不尽な一切合切を自分が背負い込むんだと、覚悟を決めた者だけが到達出来る場所なんだと、いうことのようですよ。
則本投手には是非ともこの本を読んで欲しいですな。
さて、野球つながりで少し脱線してしまいましたが、今度はバッター視点で物事を考えてみましょう。
よく、打者が見逃し三振をしてベンチに帰ってくると「なにやってんだー、バットぐらい振って来いやー!」みたいなことを言うコーチや監督がいるとか、いたとかという話をよく聞きます。少年野球や学生野球だったら監督の言葉は神の言葉みたいなもんですから、「すみません」と平身低頭に頭を下げることになるんでしょうけど、ダイバーシティの多様性の現代においては、そこまでパワハラな指導をするってことはないのでしょう、たぶん。
でね、野村克也さんしかり、落合さんしかり、自分のちゃんとした考えがあって見送ったり、振ったのならそれはそれでOKなのだということのようです。相手投手の傾向と対策からして、このカウントならここにこの球種を投げてくるだろう。それが意表を突いて思ってもいないところに投げられて、手が出なかった。若しくは、この打席では三振にはなったけど、実はこれは次の打席への伏線であとで効いてくるとかね。
見逃すこと、空振りすることに真意が無ければ、何の意味も無い。
これって仕事にも当てはまるとは思いませんか?
目の前の仕事にちゃんとした自分なりの考えが合って、あえてそうしているのなら全然問題はありません。でも、得てして世の中の多くの人はただただ過去の経験や長年の勘、そして流れに任せて惰性で仕事をしてしまう傾向が強い。
その見逃し、その空振りは自分の考えや根拠があっての見逃しなのか?空振りなのか?
ヒットになるかホームランになるか、凡打に終わるのかはあくまで結果であって、大事なことは自分の「こうすれば、こうなる」という突き詰めた理論を元にやったことなのか、どうかである。
アタシも異動して、何を大事にしているかと言えばたぶん、これかもしれない。
本日のホームゲームは雨天中止と相成りました。
さてさて、明日の試合は一矢報いることが出来るのでしょうか?
楽天イーグルスのバッターの皆さんは、もちろん真意を持って打席に立ってますよね!(^^)!