すこっち探検隊が行く、ドリアン助川 トークライヴ  「震災後の奥の細道をたどって」 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^o^)

 

私、すこっちが気になるイベントや気になるスポットに行って見たり、聞いたり、体験したことを報告している「すこっち探検隊」。

 

今回は昨日11/6に開催されました。ドリアン助川 トークライヴ 「震災後の奥の細道をたどって」に行って来ましたよ。

 

「ドリアン助川」この人のことを、果たしてどのぐらいの方がご存じなんでしょうか?

 

アタシ的にはバンドのボーカルというイメージの方が強い。彼がバンドのボーカルとして活躍していて、ラジオのパーソナリティーをやっていた頃、この番組をよく聴いていた。ドリアンさんの鋭い視点と個性溢れる存在感が際立った番組で、アタシの中にはしっかりとこの「ドリアン助川」という名前がインプットされていた。

 

あれからかれこれ20年以上が経過したんだろうか。いつの間にか「ドリアン助川」という名前は時代の陰に隠れて、地道にお仕事はされていたんでしょうけど、以前ほどの露出度は感じさせないまま、アンダーグラウンドな立ち位置で推移して来たように感じていました。

 

ふと、新聞に目をやると、ドリアンさんのトークライヴがあるという。

 

これは、行かなきゃ、行ってみなければ。彼が今どういう境遇で、どういう仕事をしていて、何に感じ、何に共感し、何を語るのか?アタシの中では20年ぶりの友人に会いに行くような感覚だった。

 

そして、訪れた仙台国際センター駅の2F青葉の風テラス。

 

すでにそこには30人ぐらいだろうか、人が集まって、彼の語りが始まるのを待っていた。

 

このトークライヴ。簡単に説明をしますと、ドリアンさんが東日本大震災の翌年2012年に福島第一原発の爆発による放射能被害の惨状を、松尾芭蕉の歩いた奥の細道の道程と重ね合わせて、放射能測定器を取り付けた折りたたみ自転車で走破した体験談に関するトークでした。ちなみに、こちらの体験談は本になっています。

 

でね、まぁ話すと長くなるんで、ポイントだけみなさんに紹介をしますね。

 

その1「色盲、色覚異常での苦労話」

 

これはドリアンさんのプロフィール紹介で聞かされた話なんですが、小学生の頃に、色弱と判定されたんだそうです。あの、学校の健康診断の最後の方で色の付いた数字が識別が出来るかどうかってやつね。当時はお医者さんの言っている意味がよく分からなかったけれど、お医者さん曰く「将来苦労するでしょうね」と言われたそうです。んでもって、中学・高校・大学と日常生活にこれといった支障も感じ無いまま、年齢を重ねていったんですが、大学4年生の時、大きな壁にぶち当たり驚愕の事実を知る。

 

なんと、彼が就活をしていた今から30年前は「色盲」に人は求人票の冒頭から「NG」という落胤が押されていたんだそうです。つまり、「色盲」というだけで、求人に応募が出来ない。(>_<)現在では差別に当たるんで、ずいぶんと緩和はされているらしいんですけど、当時は希望する職種に就きたくても付けない、というか応募すら出来ない。結局、一般企業への就職を諦め、夜の街での仕事から放送作家になられたとのことです。

 

人生いろいろ、時代の黒雲が人の人生を左右するってこともあるんだね。

 

その2「日本政府のいかさま振りががこんな大事なところにも」

 

アタシも東日本大震災の被災経験者である。自宅は海から10㎞も離れているのに、津波に1メートル30センチも津波に浸かった。家族の命は助かったが、甚大な被害で自宅のリフォームを余儀なくされた。終わりかけていた住宅ローンの第2章の始まり、始まりである。経済的損失はハンパない。

 

がしかし、肉親を失った人、家を追われた人、移住を余儀なくされた人、そして放射能汚染で目に見えない敵に歯ぎしりをして、やり場のない怒りを、振り上げた拳の落としどころがない人もたくさんいる。

震災から10年。依然として復興は道半ばではあるものの、それでも宮城・福島・岩手の人たちの日々日常を前を向いて、生活をしている。

 

もう、二度と同じ過ちを犯して欲しくない。そして、放射能汚染、放射能被害という得体の知れないモンスターから日本国民を守って欲しい。と、誰もが思う。なのに、ドリアンさんから衝撃の事実を知らされた。

 

震災の起きた2011年以前、日本政府が「体に害があるのでこの数値以上は浴びないように気を付けてくださいね」と示していた空気中の放射能濃度の数値は年間1ミリシーベルト。それが、震災から10年後の現在では年間20ミリシーベルトまでは全然OKよ!ということになっているそうな。ちなみに、33年前のチェルノブイリ原発事故の起きたチェルノブイリの現在の基準値は年間5ミリシーベルト。

たった10年しか経っていないのに、福島はチェルノブイリの4倍なのである。

 

これをあなたはどう思いますか?

 

その3「おしっこを漏らした子供と同じ、ずーっと言われ続ける」

 

今年、東京オリンピック2020が開催されましたが、福島の風評被害は未だに世界各国および日本人の脳裏から簡単には消去されない。ドリアンさんが訪れた福島である青年と会話をしたときに、こんな話をされたそうです。「結局ね、みんなの前でおしっこを漏らしたことのある子供は、そのことをずーっとからかわれ続ける。何かのたんびにアイツ、○○の頃おしっこを漏らしたことあるんだよ、ってね。今の福島が置かれた状況も全く同じ。だから、福島=放射能汚染というイメージを払拭するためには、頑張って美味しい米、美味しい野菜を作っていくしかないんです。」

 

なんと説得力のある、素晴らしい一言。確かにおっしゃるとおりである。

肝心なことは次世代に語り継がれないくせに、どーでもいい、なんだったら早く忘れて欲しいと思うことほど、しっかりと継承されていく変な国ニッポン。ホロコーストという黒歴史をちゃーんと今の世代にも教育し続けているドイツとはえらい違いですな。ワクチン被害、薬害被害で何度も悲惨な目に遭ってきたというのに、忘れられているっていうね。untitled (yakugai.gr.jp)

 

その4「松尾芭蕉と仙台藩のトリビアな話」

 

東北の放射能被害を辿る旅とは言え、一応、松尾芭蕉の奥の細道がベースになっていますから、松尾芭蕉に関する話、特に仙台藩との関わりに関する話もありました。

 

松尾芭蕉は伊賀の出身だったので「忍者だった」、「幕府の隠密だった」という説がありますが、芭蕉は主に伊達家=仙台藩の情勢を探るための密偵だと思われて、それを物語るエピソードがいくつかあったそうです。

 

例えば、芭蕉が奥州に旅立った動機は松島の月が愛でたいと語っていたのに、結局松島では一句も詠んでいないとか、芭蕉は路銀を稼ぐために行く先々で俳句の会をやってたんだけど、仙台藩は芭蕉に俳句の会をやらせなかったとか、仙台藩を出る時には3日間取り調べを受けたとか。

 

ただただ仙台藩が警戒していただけなのか?それとも、正真正銘のミッションインポッシブルだったのか? 真相は闇の中?(おーこの話、ガイドネタとして使えそうだ。)

 

と言うわけで、あっという間に時間は過ぎ、2時間のトークライヴは終了となりました。

 

パワーポイントでいろいろな写真も見せて頂き、トークと映像でアタシの心には多くのことが刻まれたって感じがしました。

 

やっぱり、人が人に物事を伝えるのには「語り」って重要だなぁ。zoomだったり、メールだったり、SNSだったり、伝え方の手段はいっぱい増えましたが、目の前で、肉声で「マンパワーでの伝え方」を超えるツールって、存在しないんじゃないだろうか。それこそ、「モーセの十戒」の頃からの折り紙付きですからね。

 

興味を持たれた方は、最近文庫本になったようです「震災後の奥の細道をたどって」をご一読されてみてはいかがでしょうか?