伊達家と能のディープな話 その2 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。(^o^)

 

さて、昨日に引き続きまして今日はアタシが日曜日に行ってきた「能ゼミナール」のその2です。

 

昨日は仙台藩祖にして、日本一の伊達男こと政宗様の能に関するエピソードをお話ししました。

まあ、アタシが能を観て、感じ入って泣けるようになるには300年ぐらい掛かるかもなぁ。(>_<)

(意味が分かんない人は昨日のブログを読んでね)

 

 

政宗様もけっこう能にのめり込んでいた。お金もかなり使った。

 

しかし、伊達家当主にして仙台藩主として、政宗様以上に能にのめり込んで、仙台藩の身代を傾かせた、ど偉い「ミスター能」、「能の申し子」がいた。

 

それが、仙台藩4代藩主 伊達綱村公

 

寛文事件別名伊達騒動とも呼ばれた伊達家の一大黒歴史。この時、綱村公は幼君だったことで伊達兵部の暗躍により、命を狙われたり、散々な目に遭ってきた。結果的には、幼君ということで伊達家はお取り潰しを逃れた分けですが、今まで溜まりに溜まっていたものが、一気に爆発してしまったのでしょうか?

 

とにかく、この綱村公の能への入れ込みようがハンパなかった。

 

当然能の宴を催す回数も他の歴代藩主に比べて回数が一ケタ違う。

 

そして、こんなエピソードも、、、。

 

江戸の伊達屋敷では、自分が能の稽古や能会を開くんで、その間は近親者に不幸があった家来は出仕を控えるようにという命令を下したり(能は晴れやかなものなので、不吉なことは忌み嫌われたのです、だからって、能をやるから部下に会社に来るなーってどうなのよ?)

 

突然、仙台城の能舞台で能の中でも有名な「道成寺」をやりたいと言い出す。

 

「道成寺」とは、詳しくは道成寺 (能) - Wikipediaを見て頂くとして、クライマックスででっかい釣り鐘を舞台に落とすシーンがあるんです。でね、この釣り鐘が今だったらいくらでもそれっぽいダミー釣り鐘は作れるんですが、昔は本物の釣り鐘が使われていた。ということは、能をやる舞台の強度が強くないと舞台が壊れちゃうんで、おいそれとはやれないし、やりたくないのが関係者の本音な分けなんです。

 

でもそこは、わがまま仙台藩主ですから、やると言い出したら岸田総理(?)と違って、人の意見を聞こうとしない暴君綱村公。

 

結局、仙台城の能舞台をビルドアップ!

 

釣り鐘にも耐えられる、最強の能舞台の完成でーす!めでたし、めでたしと。(-_-;)

 

もうね、藩主としての仕事がメインなのか、能がメインなのか分かんなくなって来た。

 

そんな能三昧の好き勝手をしていた綱ちゃんにも、とうとうお灸が据えられる。

 

元禄6年 「あのー少し能を控えて貰えませんか?」ということも含んでいたんでしょう。

藩主・綱村中心の専制政治に対し、伊達一族や家臣は反発。諌言に及ぶ。そのため、綱村は謝罪状をしたためることになる。あんましひどいもんだから、家臣達が「殿、いい加減にしてー」って、ブーイングをかまして、藩主に反省文を書かせたんですね。

 

でも、そんな時でも年間89回も能をやっていたんです、この人。

 

そして、元禄10年秋、綱村の政治姿勢は相変わらず改まらず、家臣団は藩主の強制隠居を計画するものの、親族の稲葉正往(正室の実家)らの反対で挫折する。

 

はい、ツーアウト!でも、この年97回も能をやってました。

(懲りてなーい!(>_<)しかも、回数増えてるやん)

 

結局、綱ちゃんは元禄16年(1703年)、養嗣子で従弟の吉村に後を譲って隠居しちゃいましたとさ。

 

スリーアウトチェンジ、ゲームセット!! 

 

別に能だけが強制隠居の原因だった分けではないんでしょうけど、さすがにこのタイミングでは能はNOだったんでしょうね。(あー使ってしまったぁ~)

 

それにしても、どうして綱村公は能にのめり込んでしまったのでしょう?

 

もちろん、それは文化的趣味や芸事が好きだった彼の性格もあるのですが、この時代ならではの特殊な事情がありました。

 

綱村公の名前の「綱」の字。これは、偏諱(へんき)と言って、偉い人の名前から一文字もらうのね。

はい、じゃあここで問題です!「綱」の付く綱村公よりも偉い人って、だあれだ?

 

歴史に明るいみなさんなら、もうお分かりですね。

 

5代将軍 徳川綱吉

 

この人の代名詞とも言える、ほら有名な法律があるでしょ、声をそろえて、さんハイ!

 

生類憐れみの令

 

この史上最強の動物愛護令・アニマル天国法により、狩猟が禁止となった。

 

ってえことは、武家の接待行事の1つだった「鷹狩り」なんかが出来なくなったのです。

 

なので、武家の接待&コミュニケーションツールとして「能」が置き換わっていった、という事のようです。(犬公方のせいだったんかーい)

 

かくして綱村公のやりたい放題により、多額の借金をこさえた仙台藩の財政は厳しくなっていき、5代藩主吉村公のときに、米相場で儲けて、一時的には回復するものの、結局は殿様商売ですから、長続きはせず、借金地獄のまま明治維新まで突っ走ることとなるのです。

 

みなさんも、のめり込みはほどほどに。(-_-;)