伊達家と能のディープな話 その1 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^o^)

 

朝からしっかりとした雨降りの日曜日。

 

そんなアタシには午後からある用事が入っていた。

 

「仙台藩と能」と題した能ゼミナールに申し込んでいたのである。

 

なぜに能?と思われるかもしれませんが、実は昔から少し興味はありまして、TBSドラマの「俺の家の話」で能が取り上げられていたことで、さらにボルテージが上がり、そこに「仙台藩」が絡んでくるセミナーとなれば、行かない理由は無い。

 

かくして、仙台で唯一公共の能舞台が用意されているという能ーBOXと呼ばれる場所に行って参りましたよ。ここが、その能ーBOX。

 

建物自体は倉庫みたいなところですけど、こんな立派な能舞台が、、、。

 

文化都市仙台もなかなかのもんでしょう!

 

そして、講義が始まる前にまずは、能を3番鑑賞からスタートです。

 

津村禮次郎・坂真太郎(観世流能楽師・重要無形文化財総合指定保持者) 
*謡と仕舞:「実盛」「芦刈」「海士」

 

たぶん、アタシ的には始めて生で見る能。

 

なんかこう、緊張感が自然と湧いてきて、背筋をピント伸ばして見入ってましたね。

 

でね、これは「俺の家の話」の受け売りなんですが、とにかく下半身の安定感がハンパない。

お二方ともご高齢と思われるのですが、足腰がしっかりしてないと能はやれないんですな。

 

見事な能のお披露目が終わって、お勉強の時間。

 

菅原友子先生による講義の始まり、始まり。

 

このお話がですねぇ、実に面白かった。!(^^)!

 

ガイドをやっているアタシにとっては、知っている知識とマッチングしてえらくツボにはまった。

 

なので、「伊達政宗編」と「他の仙台藩主編」に分けてお伝えします。

 

まずは、「伊達政宗編」。

 

政宗様も能は好きでしたからねぇ~、年間1億円ぐらい使っていたこともあったとか。

そんでもって、酒に酔って人の能舞台に乱入したってエピソードもある。

 

そもそも秀吉~家康の時代。大藩では能が盛んだった。

 

加賀の前田家などを筆頭に武家のたしなみの1つであり、供応・接待の大事なツールでもあった。

 

朝鮮出兵のとき、名護屋城(佐賀県)では政宗様が前田家(この頃は利家)に、

 

「おーい、前田さん。うちの陣屋で能をやるから見に来ない?」なんてお誘いをしたっていう記述が文書に残っているんだそうです。「接待ゴルフ」ならぬ「接待能」だわね。

 

政宗様は能の中でも、自分で舞うよりも太鼓の稽古を熱心にされていたそうで、そう言えば大河ドラマ「独眼竜政宗」の中でも渡辺謙さんが太鼓を叩くシーンが多かったですね。

 

天正15年(1587年)の正月15日、政宗様19歳のとき、竺丸(弟の小次郎ね)と御東(お母さんのところ)に行って、太鼓の稽古をしたという母と兄弟の仲睦まじい微笑ましいエピソードもありました。

 

しかし、その3年後に皆さんご存じの「政宗毒殺未遂事件」が起きてしまう。

 

なんとも悲しい母と兄弟の結末。「太鼓の達人」のスリーショットは、どこへやら。

 

もっとも、現在ではこの「毒殺未遂事件」はフェイクだったという説が有力なんですけどね。

 

さて、ここから政宗様に関するエピソードが絡むので、今日演じられた「実盛」について、簡単に説明します。

 

この実盛という人物なんですが、最初は源氏に仕えていました。あの木曽義仲こと源義仲のお父さん(源義賢)に仕えますが、義賢が討ち死に。彼は養父となって、義仲を育てます。

時は流れて、実盛は平氏に仕えるのですが、有名な倶利伽羅(くりから)峠の戦いで平氏は敗戦。

養父だった実盛は自分が育てた義仲の軍と戦い、あえなく討ち取られてしまいます。

 

家来が大将義仲の元に実盛の首を持っていったところ、疑問が生じます。

 

齢60(実際は70歳)過ぎの武者の首がどうして髪も髭も黒いのか?本当に実盛の首か?

 

そこで、家来はこう答えました。

 

実盛は常から、六十歳を過ぎて戦場に出る時は、 鬢、鬚を墨で黒く染めて、年より若く見せようと思うといっておりました。若者たちにまぎれて先駆けをするのも大人気はなし、さりとて老武者と侮どられるのも口惜しいからじゃと申しておりましたが、やっぱりその通りにしたものと見えます。

 

武士としての誇りをもち続けるために、髪を黒く染めていた実盛。義仲がすぐに首を池で洗わせてみると、その通り白髪があらわになった。それを知った義仲は人目をはばからず、泣き崩れたと言う。

 

ジーンとくる話でしょ。

 

でね、寛永8年(1631年)に若林城にて政宗様がお寺のお坊さん達を招いて、能会を開きました。

そこで、この「実盛」が演舞されたとき、政宗様ははらはらと涙を流した。そして、一緒にいた伊達成実(だてしげざね 三浦友和さんね)と手に手を取って泣いて、泣いて、泣きまくった。どんだけ泣いたのかというと、二人の袖がびしょびしょに濡れるぐらいに泣いたと、「木村右衛門覚書」に記されているそうです。

 

能の感動秘話とお二方の過去の戦場の回想がフラッシュバックされて、涙腺爆発に繋がったんですかね。そういうところ、政宗様の人間味を感じさせてくれるいいエピソードですよね。!(^^)!

 

次回その2は政宗様を凌ぐ、伊達家の「ミスター能」にまつわる話をすこっち流でお話しします。