Eメールの「全員に返信」機能は諸刃の剣なのでは? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^o^)

 

今やお仕事でもプライベートでもEメールというのは、私たちの生活から無くなっては困るツールの一つに定着してしまいましたね。思えば、Windows95が登場し、今まで一部のコアな連中のものでしかなかったパーソナルコンピュータが全世界に浸透。あれから36年。ネットの常時接続が当たり前となり、光回線の普及に伴い、今のような使い方が主流となった。

 

Eメールとは大変便利な代物である。相手がいなくとも確実に届くし、CCやBCCで複数の人にも一斉配信が出来てしまう。添付ファイルで情報を共有したり、それを使い回したりと、果たして今まで我々人類はこの手の仕事をどうやって、こなして来たんだろうか?と考えてしまうほど、電話やFAXのやり取りで時間を浪費していたことを忘れてさえしまう。

 

そんな僕たち、私たちの友、Eメールにも厄介なところがある。

 

その1.「メールを見ていて当たり前、チェックしていないあなたがどやされる!」

 

これは、ありますよねぇ~特に会社。(-_-;)

 

「なんだよ、メール流していたでしょう、見てないの?」とか、

 

「これだよ、メールチェックしてないんだもんな~」といったふうにメールをチェックしていないことに対してつるし上げるという、21世紀型パワハラ。これって、結構キツい。会社でグループアドレスのメンツに入れられていたりすると、1日のメールの量がハンパない。いったい、どれが重要でどれがどーでもいいものなのか、樹海から探し出すのも至難の業である。

 

その2.「全員一斉配信の便利さと悲哀さの同居」

 

これがですね、今日のお題でもあるんですが、メールの「全員に返信」という機能。

 

これが便利なときもある。アドレスに入っている人たち全員に情報共有を図りたい場合ね。いちいち、アドレスを選んでからメールなんてしてられないものね。

 

しかし、この「全員に返信」は諸刃の剣である。表と裏の顔が存在する。

 

例えば、「これは大事なことだから、全員に返信で情報共有ね!」と軽いつもりで使うよね。

けどさ、そういうみなさんが軽い気持ちで一斉配信されたメールの多いこと、多いこと。あっという間にメールボックスがいっぱいになっちゃうし、なによりますます樹海が深くなっちゃうでしょうって。(-_-;)

 

「メールの全員に返信の乱発はセーブしませんか?」

 

なんて声を上げる者はまず、いない。第一、線引きが難しい。どっからが余計で、どっからが重要なのかなんて、その人の価値観次第。そんなことを規制なんてまず、出来っこないのである。

 

例えば、会社である方の仕事のミスが発覚したとします。まあ、世の中にはそうしたミスを穏便に済ませて、後を引かないように手際よく片付ける上司もいれば、そのミスを糾弾しようと途端に鼻息が荒くなる上司もいる。そうなると、この「全員一斉配信」の出番である。そのミスをこれでもかというぐらい、傷口に塩を塗ったくるようなねちねちメールの「一斉配信」つまり、公開処刑である。

やられた本人は、「なんでそこまで?」と思うのだが、ブレーキの壊れたダンプカー上司にとっては山本リンダ、「もう、どうにも止まらない」のである。

 

今どき、魔女裁判かよ? いや、マスク警察? 正義中毒?ワクチン接種・非接種の差別かい?

 

木村ハナさんの悲しい事件がありましたね。今では、SNSというメールの一斉配信以上に進化したモンスターが世の中を席巻している。どうにも困ったものだ。(-_-;)

 

便利なことは便利でいい。そのツールのお陰で多くの人の時間が節約され、仕事が円滑に進み、会社の業績に貢献し、多くの人の有意義なプライベートに恩恵を与えている。

要は使い方のマナーなのである。こういう書き方をしたら、読んだ人は嫌な思いをするだろうな、そういう受け止め方をする人もいるだろうな、想像力!相手のことを思う気持ち。そこなんだとアタシは思う。

 

簡単に人をこき下ろすことが出来るようになった世界。でも、その一方で多くの人が傷ついているってことを、私たちはきちんと自覚しなければならない。

 

そう、メールもSNSもネット社会が生み出した映画「ゴーストバスターズ」に出てくるマシュマロマンなのだから。甘い物には注意しましょうね!(^o^)