どうも、すこっちです。(^o^)
さて、昨日に引き続きまして、楽天イーグルスの選手の背番号で振り返る「政宗事件簿 天正編」先が長いので、サクサクと進めていくとしますかね。
今日の背番号は「1」。と言ったら、楽天ファンであろうとなかろうと、知らない人はいないでしょ。
今や球界を代表する抑え、クローザーとして名を馳せた楽天イーグルスの若き守護神、「松井裕樹」その人なのであります。
松井 裕樹(まつい ゆうき、1995年10月30日生まれ 25歳 )神奈川県横浜市青葉区出身
174センチ 74キロ 左投げ左打ち 投手 2013年ドラフト1位 推定年俸2億5千万円 背番号 1
妻は女優の石橋杏奈 2018年に結婚 2020年に第一子(女児)を授かる。
2015年~2017年までは毎年50試合以上登板して、30セーブ以上を稼ぐ抑えの切り札に成長。順風満帆に行くかと思われたが、なぜか2018年は5勝8敗5セーブと低迷してしまう。(結果、チームも最下位)2019年には奮起して38セーブを記録し、最多セーブ王を獲りました。もう、このまま不動のクローザーでいいじゃん!と誰もが疑わなかった、あーそれなのにどういう欲が出ちゃったんでしょう?止めときゃいいのに、先発をやりたいと突然言い出す。(それをあっさりと許す甘ちゃん首脳陣)結局、先発転向は失敗に終わり、途中からまたクローザーに復帰。チームは今ひとつ波に乗れないままシーズンを送り、4位。
もはや、松井の出来がチームの成績を左右すると言っても過言では無いですな。
アタシの見立てとしては、ハッキリ言って制球には不安がある。9回に登板しても、フォアボールやらヒットを打たれてヒヤヒヤセーブの多いこと、多いこと。だけど、球に力はある。スライダーも一級品である。
あとは、マウンド度胸と強運と今まで積み重ねたネームバリューで抑えている感じかな。
思えば、2013年にペナントレースを制して日本一になった時は、「ほら、見てみなはれ、これがウチの自慢の守護神やで」(なんで、関西弁?)って、お披露目出来るようなクローザーがいなかった。なので、則本やらマー君でなんとか凌いで日本一になった。それから比べたら、今の松井はどこに出しても恥ずかしくない「杜の都の守護神」。なにより、9回にクローザーが出てきて、球場全体が盛り上がるっていうのが、ファンの理想型ですから。それに、モリには松がよく似合うってことになんでしょ。
さて、時代は遡りますよ~天正元年(正しくは、天正元年は7月28日からそれ以前は元亀なのです)
西暦1573年
伊達政宗様(梵天丸)は7歳になられましたよ。
まあ、昨年はくどいようですが「グレート・ティーチャー・虎哉 宗乙」との出会いがあった政宗様ですが、さすがに幼少期なんで、そうそう大きな出来事は見受けられない。
それよりも、戦国日本はこの年、激動の1年だったりする。
まず、4/12にあの武田信玄が死去。これだけでもビッグニュースなんですが、激動の元亀4年&天正元年はさらに続く。7/18には室町幕府が滅亡。(信長フィーバー)9/1には一乗谷の戦いで浅井長政が自刃。(お市の方と三人娘は助かる)
例の包囲網で八方塞がりだった信長が最も恐れていた、ラスボス信玄。さすがの無敵のラスボスも病には勝てなかったのね。死の隠蔽工作を図ってみたんだけど、戦国時代にもきっと「文春砲」はあったのでしょう、見事に人々の知るところとなり、息も絶え絶えの信長がサイヤ人なみの回復力でパワーアップに成功する。かくして、ちょこちょことちょっかいを出して来た恩知らずの足利義昭をさっさと追放して、お払い箱。そして、この年のちょっと早い大掃除として、裏切り者の成敗に着手する。そう、浅井長政の居城小谷城攻めである。秀吉の働きもあって、小谷城は一挙に陥落。
ねっ!かなり激動の年でしょ(信長にとってはね)
ある意味良かったね、こんなデビル信長と同じ時代に競り合ってなくて政宗様は幸せだったよ。まー畿内から離れてもいたし、お父さんの輝宗公は信長ともよしなにしていたそうですから、結果オーライだったんじゃあないですかね。
いい風が吹く時には、タイミングというのがある。この時はまだ、「三郎」さんにいい風が吹いていたってことなんでしょう。(信長は実は三男なので、通称は三郎だったのですよ)
おっと、次はほぼほぼ正捕手のあの人、かな?