新説!伊達政宗は独眼竜ではなかった? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^^ゞ

 

「衝動買い」、果たしてみなさんはどれくらいするもんなんでしょう。

 

人間五十年も経つとね、陳腐な欲求には振り回されなくなるもん、のはずである。

 

なのに、アタシは心をくすぐられるモノに弱い。ウチのカミさんからしたら、「そんなのいつ、使うのよ!」とか、「はい、はい、そうやって使わなくなったモノが星の数ほどあるよね」なんて罵倒されて、一瞬は落ち込む。けれど、しばらくしたらまたファイトが湧いてくるんです。(そーゆーのファイトって言うのかね)

 

そんな中でも、コンビニで気になった本はそれなりに迷うけど、結構買ってしまう。これがねー、店舗にもよるんだけど、やたらとくすぐられる本ばっかり置いているところってたまにあるのよねー。あれって、明らかにアタシみたいなヤツに対するトラップとしか思えない。

 

そんなトラップにまたも見事にハマってしまった。そして、買ってしまったよ。(-_-;)

 

「ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学」ってな本をさ。

 

んでね、その本の中に我らが伊達政宗様の話が一つだけ載っていたんです。それもなかなか耳にしないようなヤツだったんで、このブログを読んでくれた方にだけお裾分けです。

 

それは、ズバリ「伊達政宗は、独眼竜ではない」。

 

「はっ?だって、5歳の時に疱瘡(天然痘)に患って、その後遺症で右目を失明したんでしょ?」

 

そうなのである。実際にアタシもそのフレーズは何度も何度も先輩ガイドやら、歴史資料やら、いろんなところで何度も耳にタコが出来るぐらい聞かされてきた。そして、何度も何度もアタシの口から観光客のみなさんにもお伝えしてきた。これはもう、「ワシントンが桜の木を折って、正直に告白した」とか、「エジソンは小学校に馴染めず、退学した。」といった、誰もが知ってるチルドレンストーリーの一つだと思っていた。

 

だが、この本では今までの常識を覆す説を引っ張り出してきた。

 

どうやら近年の研究では、政宗はオッドアイ(虹彩異色症 こうさいいしょくしょう)だったという説があるんだそうです。聞き慣れない言葉かもしれませんが、このオッドアイとは左右の目の瞳の色が違うことを言う。犬や猫が発症する割合が高く、先天性の場合と後天性の場合がある。

 

アタシは医学の専門家では無いですが、別に左右の瞳の色が違うからって別に視力が落ちたり、無くなったりというはしないらしいのです。実際、昭和49年に瑞鳳殿で政宗様の墓所の発掘調査が行われたとき、右目眼窩には異常が見られなかったしね。

 

じゃあ、なぜ「隻眼キャンペーン」が展開されたのか?

 

これはあくまでアタシの推測ですが、武士の世で武家の跡取りとして将来を嘱望された御曹司が病に冒され、その後遺症でオッドアイになった。周りは気味悪がるし、鏡を見た自分も相当落ち込む。出来れば、そんな色の違う瞳を見せたくない。そこで、「隻眼キャンペーン」いつしか、今の私たちの「日常マスク」みたいに政宗様の右目は覆い隠され、それが当たり前になっていったのではないかと。

本物の遠山の金さんが入れ墨を見せたくなくて、人前で肌を露出しなかったのに通じる部分かな。

 

さらに邪推をするとですよ、表向きは隻眼なことになっているけれど、実際には両目が見える。これを政宗様は上手く使い分けて、肝心なときには両目を使っていた。まあ例えて言うならば、ロビンマスクの鎧かな。普段は能力をセーブしておいて、本当に必要なときにはその鎧を脱いでいたみたいなね。

 

さて、あなたの推察はどう考えますか?

 

まあ、諸説ありというのが歴史の面白さでもあるんだけど、この一説はなかなか興味深い。

アタシの今後のガイド活動に、一味加えさせて頂くとしますかね。

 

う~ん、衝動買いも役に立つ時はある!(^o^)