どうも、すこっちです。(^_^)
アタシの会社にはすんごく言葉遣いが丁寧な使い手が男性1名、女性1名いらっしゃる。
いずれも、社内でも社外でもどこに出しても恥ずかしくない逸材である。
とくに、女性の方は、その言葉遣いとしなやかさでお客様には大変ウケがよろしいようである。
当然、敵は作らないタイプだ。
一方の男性の方もこれといったヤリ手感は感じられないのだが、接し方も常に優しくソフトで、これまた社内にも社外にも敵は作らないタイプである。
どこから見ても合格点!減点評価のしようが無いと誰もが感じる。
が、しかし意外と見過ごされがちなのだが、見る人が見れば何かが欠けている。
それは、ズバリ「人懐っこさ」。
「親しい仲にも礼儀あり」という言葉がありますね。いくら仲が良いからって、程度問題でしょってことなんですけど、そうは言っても人との関わり合いでもって、面白みが沸いてくるのが人間関係。
だから、相手が心を許せるような親近感を作り出せるかどうかが人間関係構築の肝でもある。
アタシの場合、「この人とは同じ土俵には立たない方がベターだな」って感じた人に対しては、あくまでビジネスライクとしての付き合いに徹するようにしている。誰だって、多くの地雷を仕掛けているような人とはそれなりの距離感を持って接するに越したことは無い。(そういう人って、感じるものがあるもん)
逆に「この人はなんとなく、自分と周波数が近いな」って感じる人には、最初はもちろん手探りですが、徐々に関係がこなれて来たら、ため口とは言わないまでも、丁寧な言葉遣いはほどほどにして積極的に関係が同等ぐらいのフラットトークに切り替えるようにしている。
丁寧な言葉遣いは確かに、手堅い安全策である。サッカーで言ったら、自陣のゴール付近をガチガチに選手で固めて守っているようなものである。当然、失点をしない確率は高くなる。
しかし、それは大事なことを忘れている。
いくら、ゴール前を固めて失点を抑えたところで、自分のチームはゴールを奪えないってこと。
サッカーは点取りゲームである。最終的には相手よりも多く点を取った方が勝ちなのだ。点を取るためには、当然リスクがある。でも、そのリスクを冒してでも、創造的なアドベンチャーに果敢に挑戦するからこそ、相手のゴールネットを揺らす快感に辿り着けるのだ。
人間関係も同じである。
相手の懐に飛び込み、相手との会話の機会を増やし、回数を重ね、距離を縮める。距離が縮まったら、しめたもの。そこからは、時には上様、時には対等、時には家僕みたいなことを相手とのコミュニケーションの中で上手く使い分けて行く。これこそ、人間関係の醍醐味である。
丁寧過ぎて伝わりにくいってことも、世の中にはあるのである。
まどろっこしい表現や回りくどい表現で、かえって嫌悪感を抱かれるって光景を目の当たりにしたことって、ないですか?
そして、人間の本性というのは隠せているようで、意外と隠せないもの。
こういう常に丁寧な言葉遣いをしている人に限って、陰では毒突いていたり、愚痴を言ったりという裏表を露呈する。キレたら怖い人でもあったりする。
人の心の声というものを聞き取るのは、とっても難しい。
徐々に慣れっこくなって行ける人っていうのは、たぶん、正直な生き方をしている人。
自分に向かい風が吹いても、常に自分に正直でいられる人でありたいですね。(^o^)