どうも、すこっちです。(^o^)
今日は伊達政宗に興味をお持ちの方だったら、誰もが知っておきたい(!?)奥さんと子供について、まとめてみました。
まあ、まともに書こうとするとやたらと長くなるし、そうなると読む気も失せてしまうでしょうから、一つの表にまとめてみました。
んぐ?細かすぎて読めんぞ!
すみません、残念ながら、ブログにアップするにはこのサイズが限界のようなのです。(>_<)
じっくりとご覧になりたいという方は、スマホでピンチアウトするなどしてご覧になってください。
簡単に解説をしますと、伊達政宗には愛姫という正室の他に確認されているだけで、8人の側室がいたということになっています。
香の前さんは、12月8日のブログにも書いた通り、カウントとしては微妙なんですけどね。
私は物じゃない!れっきとした1人の女性だ!BY 香の前 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ (ameblo.jp)
そんでもって、お子さんは確認されているだけで、青が男の子で11人、ピンクが女の子で5人の合計すると16人となります。
ただ、ここで注目すべきは「ご落胤」とされている方が男性1名(香の前さんが産んだ宗根さん)と女性1名(香の前さんが産んだ慶月院さん」いらっしゃいます。いずれも香の前さんのお子さんということは、やっぱり、家中で知らない人はいなかったんだろうけど、一応は茂庭綱元カウントのお子さんということにしていたってことなんでしょうなあ。(-_-;)
お子さんを授かった数のトップ賞は、文句なしで愛姫で4人!この辺は正室の面目躍如ってところでもあるし、政宗様もきちんと筋を通したってことになるのかな?
クイズ年の差なんて!(懐かしい)年の差婚ならぬ、年の差でめでたくご懐妊となったのは、
政宗様が60歳の時に、当時23歳の妙伴(本寿院)さんとの間に千菊姫が生まれています。
年の差は実に37歳!!伊達六十二万石の大大名ならではの金字塔ってか。
あと分かるのは、やっぱり関ヶ原の戦いのあった1600年以降の10年間にお子さんの誕生が集中しているってこと(9人)でしょうか?そりゃあ、戦に明け暮れて出張三昧では、体も気も休まる暇も無い=そういう気にもなかなかならなかったということなんですかね。
以上、もっと詳しく知りたいという方は調べてみると面白いかもよ。(^^ゞ