別に○○+否定系はいつから頻繁に使われるようになったのか? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。(^o^)

 

今は3月。フツーの年であれば新入学生、新入社員と呼ばれるフレッシャーズが街中に溢れる月である。

 

しかし、最近妙に目に付くのが、この新1年生に対する教育係の気の遣い方のハンパなさなのだ。

 

確かに昨今では、パワハラにモラハラにセクハラ。とにかく口を開けば、ハラスメントと受け取られる可能性がそこいら中に転がっている。下手なことをすれば、せっかく入社した新入社員が辞めてしまうかもしれないし、上司からの監視の目も光っている。自分の仕事も抱えながらの教育係は正直、やったものでないと分からないが結構骨が折れるもの。まあ、その新人が立派に巣立ってくれたら、あなたはその人にとっての一番の育ての親ってことにはなるんですけど、それがハッキリするのはずっと先のことである。

 

んでね、今日のテーマである「別に○○+否定系」とは何なのか?

 

①「別に悪いとは言わないけど」

 

②「別に君がやりやすいようにやってもらえればいいけど」

 

③「別に無理にとは言わないけどね」

 

④「別にどちらでもいいけどね」

 

ニュアンスは伝わりましたか? よく聞くと思いません、このフレーズ。

 

「別に○○」。これって、意外と聞き流してしまうんだけれど、よくよく考えてみるとよ、単に指導的立場に立つ人間がさ、前段ですっごく良い指導のフレーズを語ったとして、その後に「この新人に悪く思われたら嫌だなぁ~」とか「頼むからこれは悪く取らないでね」という気持ちの表れで、結局後半で否定系のフレーズを付け加えて打ち消しているように思えてならない。

 

仮にその指導に対して新人に反論をされたら、「いやだから別に無理にとは言わないけどって言ったでしょ」みたいな逃げ道を用意している感じなんだよね。でもさ、これってどうなんだろう?保険を掛けておきたいって気持ちは分かるけど、ある意味、「責任逃れ」、「無責任」って感じもしないではない。

 

アタシが会社入社した頃は、先輩に対して文句というか反論をするなんて皆無だったような、、、。(-_-;)

とにかく言われたこと、指示されたことを疑問も持たずに黙々と業務をこなすって感じだった。まあ、それが良いのか悪いのかは、今となっては「果たしてうさぎ跳びはトレーニングとして有効だったのか?」という議論と同じような匂いがしないでもないんだけど、アタシは反パワハラ全盛のこの時代にあえて言いたいんです!

 

世の中の新人教育係、若しくは上司と言われる輩のみなさん!

 

あんたら余計な気を遣い過ぎだよって。なんなのよ、相手は今年入ったばかりの学生上がりの社会人一年生でしょうが!それにね、確かに言葉遣いも接し方も人一倍気を遣う必要はあるよ、コンプラ様がうるさい時代だからね。

 

でもさ、一番大事なこと、分かってますか?それはさ、至ってシンプルなんですよ。

 

「正しいことは正しい、間違っていることはダメ!」

ってことなんだよね。

 

つまり、上司から新人教育係を拝命したあなたはいわば上司の名代。拡大解釈をすれば、社長の名代と一緒だ。ってことはね、誠心誠意新人教育に心血を注がなければならないし、その教育課程の中で自分が正しいと思ったことは、自信を持って正しいと言い通すべきだし、間違っていることは誰がなんと言おうが、「俺がルールブックだ!」ぐらいの勢いでダメなものはダメと言い切ってしまった方がいいとアタシは思う。そんな「やってもやらなくてもいいよ」的なフワフワ発言を乱発していたら、いくら新人とは言え、どんどん軽く見られてしまうよって。なにより、一貫性が保てない。

 

仮に後で間違いが発覚したとして、それを指摘されたらその時は素直に間違いを認めて謝ればいい。だって、にんげんだもの。勘違いや間違いは誰にでもあるし、少なくともあなたはいまどきの国会議員や官僚のように「間違いを認めたら負けよゲーム」に参加している分けでもないんだしね。

 

中国の三国志の時代、あの有名な諸葛孔明の逸話に「泣いて馬謖を斬る」って言葉があります。

 

詳しい解説はご自身でググって頂くとして、簡単に言うといくら自分の信頼する部下であっても、致命的な間違いを犯した場合は自らの判断で処刑しなきゃなんないってことなんです。(今の政治家は絶対にそんなことしないよなー)孔明の基本理念は信賞必罰、正しいことは正しいし、間違っていることはダメ!なんですよね。

 

入社した頃から、なんでもあり、「別に○○+否定系」でぬるま湯にどっぷりと浸かった新人君がこの先、どんな会社の一構成員となるのだろうか?もちろん、その人の性格や人間性によるところがありますから、優等生に育つ者もいれば不良になる者、裏表を上手く使い分ける者など様々かもしれません。

 

でも、それってどうなんだろう。

 

「是々非々」という最後の砦を無し崩しにしてしまったら、もう城を明け渡すしかないんだよって。

「どう育つかは、その人の人間性と感性に委ねます」なんて会社側が白旗を揚げたら、もう会社としての体を為しているようで、為していないのと同じだよって。

 

「別に○○+否定系」発言はある意味、悪者になりたくない一種の逃げ発言である。

 

「逃げるは恥だが役に立つ」はハンガリーのことわざですが、少なくともこの場合は役ではなく、会社にとっては「厄」そのものなんではないでしょうか?